2025-02-18 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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縁とは、行(動く)、住(留まる)、坐(すわる)、臥(横になる)、作作(ささ)(行為)、言語(話す)の六種であり、日常活動全般にわたってどのような止観ができるかを説明している。「我今何等のために~せんと欲するや」との問いかけから始まり、すべて「畢(ひっ)竟(きょう)空(くう)寂(じゃく)なり」と観じてゆく。
境とは、眼の「色(しき)」、耳の「声(しょう)」、鼻の「香」、舌の「味」、身の「触」、意の「法」の六塵を指す。ここでは眼などの六根と色などの六塵が共に実体を持つものではないと知り、すべて「畢竟空寂なり」と観じてゆく。
この天台小止観の止観法は、伝統的な仏教の瞑想法だが、どちらかと言えば「空」を観念的に扱っているので実効性にはやや疑問が残る。