2025-02-25 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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正法眼蔵・現成公案で道元は、
「自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心および他(た)己(こ)の身心をして脱落(とつらく)せしむるなり。悟(ご)迹(しゃく)の休(きう)歇(けつ)なるあり、休歇なる悟迹を長(ちやう)ゝ(ちやう)出(しゆつ)ならしむ。」と言っているが、まさに核心を突いた言葉だ。
師は弟子たちに「場」を提供するために一緒に坐る。問題は弟子の側にその準備が出来ているかどうかだ。もし弟子が同一化を実現すれば、師の体験の一部を共有することが出来るだろう。そして悟迹の余韻の中でより深く脱落を体験するに違いない。
師は常に弟子の成長をサポートする役割を担っている。
そしてそれに応えられた者だけが、「最上無為の妙術」(正法眼蔵・辯道話)を得ることができるのだ。