2025-03-03 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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「客体ばかりになり、自体をなくしてしまった」状態とは、”自体の消失”を意味するので、これは「空」系の境涯だ。ちょうど無重力空間に自らの存在だけがぽっかりと浮かんでいるような状態だといっていい。正しい方法で熱心に取り組めば体得できるだろう。
ではもうひとつのキーワード「色に染まる」とは、何を意味するのだろうか。私は、これは「虚」系の境涯を指していると思う。虚とは、中身のない器だけになる状態なので、注ぎ込むものによって何にでも染まることができる。だから虚という文字を充てるわけだ。
この空と虚は単に視座の違いによるもので、元を辿れば表裏の関係にある。だから、ヨーガスートラに於いても両建てで言及する必要があったわけだ。このように考えると、三昧について2系統あるのは、当然の成り行きだと言えよう。
いずれにせよこの一連の流れは、「意識の解体過程」を説明するものだ。消去法によってひとつずつ削除してゆくプロセスが、実に上手く説明されていると思う。