2025-03-21 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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Step-6.身心脱落から真我の独存へ
真我の観え方には、解像度、輝きの強さ、大きさ、透明度、の4種類の側面があると書いたが、ウパニシャッドにあるように最初はぼんやりとしか観照できない。もちろん五要素の力が弱いこともその理由だが、まず考えるべきは安定度だといえよう。真我が不安定だから、よく観ることもできないし、止観力も高まらないのだ。そこで如何にして真我を安定させるかを詳解したい。
「尋牛」のところで、鎮魂について説明した。令義解の神祇官の部によれば、次の様に書かれている。「鎭魂 謂ふ、鎭は安なり。人の陽氣を魂と曰ふ。魂は運なり、言うは、離遊の運魂を招きて、身體の中府に鎭む。故にこれを鎭魂と曰ふ。」(「神典」)
この一文は、国家の正式な法律文書にあるものだ。だから当時の統一的な見解だったものと想われる。改めていうが、これは”自らの不安定な霊魂(真我)”を”安定させる”ことの重要性を説いている。この場合の「魂」とはもちろん一霊四魂であり、真我(プルシャ)だ。「安」とは安定、「運」とは運転活用できる性質のものだという意味。従ってここでは、離遊している真我を身体の中府に招き鎮めることが望まれている。それは、統制を失っていた魂(真我(プルシャ)=仏性)が自分自身の中心に還ってくることを意味する。