一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-176

2025-04-06 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第四 得牛


序
久埋郊外、今日逢渠
由境勝以難追、恋芳叢而不已
頑心尚勇、野生猶存
欲得純和、必加鞭撻

久しく郊外に埋もれて今日渠(かれ)に逢う
境(きょう)、勝(すぐ)るに由(よ)って以て追い難し、芳(ほう)叢(そう)を恋(した)うて而も已(や)まず
頑(がん)心(しん)尚(なお)お勇み、野生猶(なお)存す
純(じゅん)和(な)を得んと欲せば必ず鞭(べん)撻(たつ)を加えよ

頌
竭尽精神獲得渠
心強力壮卒難除
有時纔到高原上
又入烟雲深処居

精神を竭(けつ)尽(じん)して渠を獲得す
心強く力壮(さか)んにして卒(にわか)に除き難し
有る時は纔(わず)かに高原の上(ほとり)に到り
又煙雲深き処に入って居(きょ)す
 

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管の浄化


ところで、中空の竹と化すのにある程度の身心脱落が条件だとすると、かなりハードルが高くなるが、その点はどうなのだろう。実際にやってみるとわかるが、身心脱落も中空の竹もある日突然完成するわけじゃない。課題を一つずつこなしながら、段階を踏んで出来上がってゆく。


ヨーガでも古神道でも、師が放つ光輝系のエネルギーを受けることで、管の浄化がなされる。密教ヨーガ系でナーディ(気道)の浄化というと肉体的な技法がほとんどだが、ジニャーナ・ヨーガでは肉体的な技法は用いない。なぜなら管が無形だからだ。


では、”師がいない場合、一人で無形の管の浄化はできるだろうか?”との問いには、残念ながら”極めて困難だ”と答えざるをえない。よほど「場」の状態のよいところでプラーナーヤーマを積めば、何とかなるかもしれないが、ほとんどの場合難しいだろう。もし仮に運良く浄化ができたとしても、独力では、真我を安定させる、つまり真我独存までしかゆけない。それが師の不在を前提としたヨーガスートラの限界なのだ。
 


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