一般財団法人 野萩青少年育成財団
記事一覧に戻る

禅の十牛図 考-197

2025-04-27 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
***********************************************

 

第3章    第五図 牧牛


序
前思纔起、後念相隨
由覚故以成眞、在迷故而為妄
不由境有、唯自心生
鼻索牢牽、不容擬議

前(ぜん)思(し)纔(わず)に起これば、後(ご)念(ねん)相(あい)随(したが)う。
覚(かく)に由(よ)るが故に以(もっ)て真となり、迷(めい)に在るが故に而(しか)も妄(もう)と為る
境(きょう)に由って有(う)なるにあらず、唯(た)だ心(しん)より生ず
鼻(び)索(さく)牢(つよ)く牽(ひ)いて擬議(ぎぎ)を容(い)れざれ

頌
鞭索時時不離身
恐伊縦歩入埃塵
相将牧得純和也
羈鎖無拘自逐人

鞭(べん)索(さく)時々(じじ)身を離れず
恐るらくは伊(かれ)が歩を縦(ほしいまま)にして埃(あい)塵(じん)に入らんことを
相(あい)将(ひき)いて牧得すれば純(じゅん)和(な)なり
羈(き)鎖(さ)拘(こう)すること無きも自ずから人を逐(お)う
 

****************************

 

鞭(べん)索(さく)時々(じじ)身を離れず
恐るらくは伊(かれ)が歩を縦(ほしいまま)にして埃(あい)塵(じん)に入らんことを
相(あい)将(ひき)いて牧得すれば純(じゅん)和(な)なり
羈(き)鎖(さ)拘(こう)すること無きも自ずから人を逐(お)う

常に安定を心しているのは、真我が自由気ままに動いて穢れにまみれることを恐れるからだ。

だが、アートマンの中心力が制御できるようになれば、ムスビが整う。

無理に拘束しなくとも、自ら従順についてくるようになるだろう。

時々とは、そのときそのとき、その都度。
歩を縦にしてとは、歩き放題歩いて。埃とは、ちり、ほこり。塵とは、鹿の群れの走り去った後に土埃がたつこと。六塵といえば、六根(五感+意)の欲望や迷いの意。将いるとは、長となって率いること。得とは、~することができるの意。羈は、たづな。鎖は、くさり。
 


元記事