2025-04-20 著者:小山一夫
原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。
禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
***********************************************

第3章 第五図 牧牛
序
前思纔起、後念相隨
由覚故以成眞、在迷故而為妄
不由境有、唯自心生
鼻索牢牽、不容擬議
前(ぜん)思(し)纔(わず)に起これば、後(ご)念(ねん)相(あい)随(したが)う。
覚(かく)に由(よ)るが故に以(もっ)て真となり、迷(めい)に在るが故に而(しか)も妄(もう)と為る
境(きょう)に由って有(う)なるにあらず、唯(た)だ心(しん)より生ず
鼻(び)索(さく)牢(つよ)く牽(ひ)いて擬議(ぎぎ)を容(い)れざれ
頌
鞭索時時不離身
恐伊縦歩入埃塵
相将牧得純和也
羈鎖無拘自逐人
鞭(べん)索(さく)時々(じじ)身を離れず
恐るらくは伊(かれ)が歩を縦(ほしいまま)にして埃(あい)塵(じん)に入らんことを
相(あい)将(ひき)いて牧得すれば純(じゅん)和(な)なり
羈(き)鎖(さ)拘(こう)すること無きも自ずから人を逐(お)う
****************************
牧とは、牛を繁殖させること、養い育てること。思とは、頭と心(心臓)からできた漢字であり、思うという働きが脳と心臓を中心として行われることを示す。
念とは、中に入れて含むこと、心中深く含んで考えること。
真とは、欠け目なく充実している状態、満たされた状態。
迷とは、まよう、方向を見失った状態、見えなくなる、はっきりしない、ぼんやりとして戸(と)惑(まど)う。
妄とは、女+亡で、女性に心が惑わされ我を忘れた振舞いをすることが原意。
索とは、一本ずつ離れた繊維、細い引き綱。
牢くとは、宀(うかんむり)+牛で牛をしっかり小屋の中に閉じ込めることの意。
容れるとは、受け入れる、従う、認めるの意。
擬議とは、あれこれと思いはかること、あやぶみ躊躇うこと。