一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-196

2025-04-26 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章    第五図 牧牛


序
前思纔起、後念相隨
由覚故以成眞、在迷故而為妄
不由境有、唯自心生
鼻索牢牽、不容擬議

前(ぜん)思(し)纔(わず)に起これば、後(ご)念(ねん)相(あい)随(したが)う。
覚(かく)に由(よ)るが故に以(もっ)て真となり、迷(めい)に在るが故に而(しか)も妄(もう)と為る
境(きょう)に由って有(う)なるにあらず、唯(た)だ心(しん)より生ず
鼻(び)索(さく)牢(つよ)く牽(ひ)いて擬議(ぎぎ)を容(い)れざれ

頌
鞭索時時不離身
恐伊縦歩入埃塵
相将牧得純和也
羈鎖無拘自逐人

鞭(べん)索(さく)時々(じじ)身を離れず
恐るらくは伊(かれ)が歩を縦(ほしいまま)にして埃(あい)塵(じん)に入らんことを
相(あい)将(ひき)いて牧得すれば純(じゅん)和(な)なり
羈(き)鎖(さ)拘(こう)すること無きも自ずから人を逐(お)う
 

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離脱による働きかけ


④は、いつでも離脱して禅定(サマディ)に入れることが前提の話だ。ひとつの可能性として書いたが、自力で行なうとなれば、この牧牛段階ではまだ無理だと思う。もちろん師の助力によって、次の騎牛帰家ができるようになれば、当然可能になる。


禅はもとより仏教全体でも、古来、数え切れない程たくさんの禅定が説かれている。教義などの影響もあってやや分類が不明確な気もするが、いずれにしても想像がつかないくらいの数の多さだ。(神気というかエネルギーの種類の違いだといえば解りやすいかも知れない)


ところで、仮に離脱ができたとして、数多い禅定の中から、自分の目的にあったエネルギーが支配するところにどうやって行くかだが、これには相当な参禅回数が必要だろう。つまり傍らに坐り、同一化(ウパース)する回数だ。

 

鑑機三昧によって師が弟子の真我の状態を観照し、その時折に必要な禅定に入る。たとえば、穢れの種類によっても浄化の仕方は違うわけだから、当然入るべき禅定も異なる。また浄化だけでなく、他の目的であっても、毎回同じというわけではない。だから弟子は必然的に様々な禅定の雰囲気を味わうことになる。

 

その無形の感触を記憶することを怠らなければ、正邪真偽のみならずレベルの違いもはっきりと分別(識別)できるようになるだろう。そうなれば、自身が離脱する時に、行きたいところの雰囲気の記憶を甦らせることで、そこに照準が合うようになる。難易度は高いが、同時に確実性も高い。


もちろん方法は、これだけではない。個人的には古神道の方法が一番好きだが、これは前者よりも遥(はる)かに難しいのでここでは触れない方がいいだろう。
 


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