一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-230

2025-05-30 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第七図 忘牛存人
序
法無二法、牛且為宗
喩蹄兎之異名、顯筌魚之差別
如金出鉱、似月離雲
一道寒光、威音劫外

法に二法無し、牛を且(しば)らく宗と為す
蹄(てい)兎(と)之異名に喩(たと)え、筌魚(せんぎょ)之差別を顕わす
金の鉱を出ずるが如く、月の雲を離るるに似たり
一道の寒光、威(い)音(おん)劫(ごう)外(げ)

頌
騎牛已得到家山
牛也空兮人也閑
紅日三竿猶作夢
鞭縄空頓草堂間

牛に騎(の)ってすでに家山に至ることを得たり
牛もまた空(くう)じ人もまた閑(しずか)なり
紅(こう)日(じつ)三(さん)竿(かん)、猶(な)お夢を作(な)す
鞭(べん)縄(じょう)空しく頓(さしお)く草堂の間
 

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ところで、光輝の中に入り合一した場合であっても、その真偽を確かめるため、短間隔で何度か光輝に出入することをお奨めする。つまり生理的な極限状態で起こったことなのかどうかを自分で判断するわけだ。チャンネルを切り替えるように自在に出入できるようなら、まず大丈夫だと思っていい。

 

脳の酸欠などが原因の場合だと、このような切り替えはできない。出入の如何に係わらず、ずっと同じ光が見えているはずだ。従って、自らの体験の真偽とレベルをチェックする上でもこの確認作業は必須だ。

 

当初私もそれを確認するために何度も出入を繰り返したが、「真の本性」(=無)から離れると光輝が見え、無と合一するとその瞬間から見えなくなるので、この点もラーマナの主張は正しいと思う。そして正しさを確認できたら、次はその合一に留まり、融合へと向かうようにしよう。

<脚注>
1.無形の穢れ・・古神道では禊を魂(み)削(そ)ぎと解釈する。無形の穢れは、無形の力で祓う。
2.荘子・・内篇、人間世篇第四。「唯(た)だ道は虚(むな)しきに集まる。虚しきこそ心の斎(ものい)みなれ。」
3.羅漢・・阿羅漢。初期仏教では最高のさとりに達した人。大乗仏教では声聞のこと。
 


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