2025-05-25 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第七図 忘牛存人
序
法無二法、牛且為宗
喩蹄兎之異名、顯筌魚之差別
如金出鉱、似月離雲
一道寒光、威音劫外
法に二法無し、牛を且(しば)らく宗と為す
蹄(てい)兎(と)之異名に喩(たと)え、筌魚(せんぎょ)之差別を顕わす
金の鉱を出ずるが如く、月の雲を離るるに似たり
一道の寒光、威(い)音(おん)劫(ごう)外(げ)
頌
騎牛已得到家山
牛也空兮人也閑
紅日三竿猶作夢
鞭縄空頓草堂間
牛に騎(の)ってすでに家山に至ることを得たり
牛もまた空(くう)じ人もまた閑(しずか)なり
紅(こう)日(じつ)三(さん)竿(かん)、猶(な)お夢を作(な)す
鞭(べん)縄(じょう)空しく頓(さしお)く草堂の間
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再離脱について
このように再離脱とは、合一後に真我(プルシャ)からアートマンが離脱することを意味する。これは最終段階(円相)に突入する前に必ず越えなければならないハードルであり、これによって、最後の穢れが離れてゆく。
完全なる再離脱は死を伴うので、普段はその一歩手前までに留めるわけだが、そこに至るまでの感触は至福だけではない。それについて書かれた文献は残念ながらほとんど見たことがないが、本書ではこの点について唯一とも言えるラーマナ・マハーリシの言行録を手掛かりに考察したいと思う。