一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-237

2025-06-06 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第八図 人牛倶忘


序
凡情脱落、聖意皆空
有佛處不用遨遊、無佛處急須走過
兩頭不著、千眼難窺
百鳥含花、一場懡*

凡(ぼん)情(じょう)脱落し、聖(しょう)意(い)皆空ず
有(う)仏(ぶつ)の處、遨(ごう)遊(ゆう)することを用いず
無(む)仏(ぶつ)の処、急に須(すべか)らく走過(そうか)すべし
両頭に著(じゃく)せずんば、千眼も窺(うかが)い難(がた)し
百鳥華を啣(ふく)む、一場の懡(も)*(ら)

頌
鞭索人牛盡屬空
碧天遼闊信難通
紅爐焔上爭容雪
到此方能合祖宗

鞭索(べんさく)人(じん)牛(ぎゅう)、尽(ことごと)く空に属す
碧天(へきてん)遼(りょう)闊(かつ)として信(しん)通じ難し
紅(こう)爐(ろ)焔上(えんじょう)、争(いか)でか雪を容(い)れん
此(ここ)に到って方(まさ)に能(よ)く祖宗に合(かな)う
 

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魂気歸于天、形魄歸于地


さらに別の視点から見ると、次のようになる。礼記には「魂気歸于天、形魄歸于地(魂気は天に歸し、形魄は地に歸す)」とあるが、もし無形の魄(特定の想念や我執)が強いと、死後、真我は神我に到達することができない。
 

この無形の魄は、有形の魄(肉体)と魂(一霊四魂)をある部分で繋ぐ働きをしている。生に対する強固な執着とでも言おうか。これは人間が生きている以上ある程度は必要なものだが、いざ涅槃に入ろうとする場合には邪魔ものでしかない。


もしも魂魄の分離が完了しないと、死後その人の真我は神我に赴くことができずに別の世界(領域)へ行くことになる。昔から死に際して、”思い残すことはない”、”死んでも死に切れない”等が成仏するかしないかの分かれ道のように言われるのは、多分そのような理由からだろう。
 


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