2025-06-09 著者:小山一夫
原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。
禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
***********************************************

第3章 第八図 人牛倶忘
序
凡情脱落、聖意皆空
有佛處不用遨遊、無佛處急須走過
兩頭不著、千眼難窺
百鳥含花、一場懡*
凡(ぼん)情(じょう)脱落し、聖(しょう)意(い)皆空ず
有(う)仏(ぶつ)の處、遨(ごう)遊(ゆう)することを用いず
無(む)仏(ぶつ)の処、急に須(すべか)らく走過(そうか)すべし
両頭に著(じゃく)せずんば、千眼も窺(うかが)い難(がた)し
百鳥華を啣(ふく)む、一場の懡(も)*(ら)
頌
鞭索人牛盡屬空
碧天遼闊信難通
紅爐焔上爭容雪
到此方能合祖宗
鞭索(べんさく)人(じん)牛(ぎゅう)、尽(ことごと)く空に属す
碧天(へきてん)遼(りょう)闊(かつ)として信(しん)通じ難し
紅(こう)爐(ろ)焔上(えんじょう)、争(いか)でか雪を容(い)れん
此(ここ)に到って方(まさ)に能(よ)く祖宗に合(かな)う
****************************
3.四無色定とは、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処を言う。空無辺処とは、物質的要素を脱落させ、空と無を悟る。識無辺処とは、意識の無限な広がりを悟る。無所有処とは、何一つ所有するものがないことを悟る。非想非非想処では、意識も無意識も超えた純粋精神のみの境涯を得る。以上は原始仏典に詳解されているが、実際に行なう場合には、技術的により精密に再構築する必要がある。まず各ステージの原理を明らかにし、より具体化して実行しないと確かな手応えは得られないだろう。ヨーガスートラの無想三昧と無種子三昧の2階梯も役立つはずだ。
4.九次第定とは、四禅定+四無色定+滅尽定のこと。滅尽定とは無心定、滅禅ともいい、非想非非想処を越えた境地。これは(定義にも因るが)、ヨーガスートラの心の作用の止滅に相当する。だとすれば、ウパニシャッドの準備段階に過ぎないといえよう。他に眼を向けると、古神道の「感覚を蕩尽し、意念を断滅すべし」や、普勧坐禅儀(道元)の「心意識之運転を停め、念想観之測量を止むべし」にも通ずる。ただしこの両者は、プロセスを説明するものであって、ゴールを示唆するものではない。
5.四念住(八正道の正念に相当)とは、身念住、受念住、心念住、法念住のこと。一般的には、身念住とは身体が不浄であるという観想、受念住とは感覚が苦であるという観想、心念住とは心が無常であるという観想、法念住とは有形・無形のあらゆるものが無我であるとする観想、と解釈されている。これらは原理的には納得できるが、技術的には原始仏典のままではなく内容を組み直した方がいい。例えば、身念住の不浄観は、後に九想観(死体が腐乱し白骨化するまでを9段階に分けてリアルに観想する法)を生む。古くは単に観想するだけでなく、墓地で実際に死体を観察し続けたという話も伝えられているが、それを実行することにどれだけの意味があるのかは甚だ疑問だ。むしろ不浄観は、清浄観を妨げるように思う。