一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-244

2025-06-13 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第八図 人牛倶忘


序
凡情脱落、聖意皆空
有佛處不用遨遊、無佛處急須走過
兩頭不著、千眼難窺
百鳥含花、一場懡*

凡(ぼん)情(じょう)脱落し、聖(しょう)意(い)皆空ず
有(う)仏(ぶつ)の處、遨(ごう)遊(ゆう)することを用いず
無(む)仏(ぶつ)の処、急に須(すべか)らく走過(そうか)すべし
両頭に著(じゃく)せずんば、千眼も窺(うかが)い難(がた)し
百鳥華を啣(ふく)む、一場の懡(も)*(ら)

頌
鞭索人牛盡屬空
碧天遼闊信難通
紅爐焔上爭容雪
到此方能合祖宗

鞭索(べんさく)人(じん)牛(ぎゅう)、尽(ことごと)く空に属す
碧天(へきてん)遼(りょう)闊(かつ)として信(しん)通じ難し
紅(こう)爐(ろ)焔上(えんじょう)、争(いか)でか雪を容(い)れん
此(ここ)に到って方(まさ)に能(よ)く祖宗に合(かな)う
 

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「身に円月相を現ず」(正法眼蔵・仏性)という言葉がある。景徳伝燈録の龍樹章には、「龍樹が南インドに教化の旅をしていた折、人々に仏性について説き、仏性の具現した姿として坐禅を行じてみせた。その時満月のような円相が現れて龍樹の姿が見えなくなったという」(「禅の思想辞典」)とあるが、これはアサンガや空海の逸話を思い出させるものだ。


円相にも様々な階層があるから、必ずしもすべてが究極だとは言わないが、本来の円相とは、信心銘に「円(まどか)なること太虚同じ、欠くることなく余ることなし」とあるように、完全無欠なる世界を現している。それはまさに神我の深奥にある中心力そのものに他ならない。古事記でいえば天之御中主神の領域に通ずると言ってもいいだろう。この辺りの真実は、簡単に語れるものではない。無形の極致ともいえる深秘に属する話だ。
 


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