一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-248

2025-06-17 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第九図 返本還源


序
本来清浄、不受一塵
観有相之栄枯、処無為之凝寂
不同幻化、豈仮修治
水緑山青、坐観成敗

本来清(しょう)浄(じょう)にして、一(いち)塵(じん)を受けず
有(う)相(そう)の栄(えい)枯(こ)を観じて、無為の凝(ぎょう)寂(じゃく)に処(しょ)す
幻(げん)化(け)に同じからず、豈(あに)に修(しゅ)治(じ)を仮らんや
水緑に山青くして、坐(いながら)にして成敗(せいばい)を観る

頌
返本還源已費功
争如直下若盲聾
庵中不見庵前物
水自茫茫花自紅

本(もと)に返り源(みなもと)に還って已(すで)に功を費(ついや)す
争(いか)でか如(し)らん、直(じき)下(げ)に盲(もう)聾(ろう)の若(ごと)くならんには
庵中に見ず庵前の物
水は自ずから茫茫(ぼうぼう)、花は自ずから紅なり
 

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有相とは、有るという本質、形あるもの、現象世界のこと。無相といえば、現象世界に対する執着や囚われを離れているという意。無為とは、因果関係を離れている存在、超時間的な存在、生滅変化を超えた常住絶対の真実、現象を離れた絶対的なもの、ニルヴァーナの異名。幻化とは、実体のない幻のこと。修治とは、修行によって清めること。成敗とは、万物の成否。

本来清浄なのだから、塵ひとつ受け付けはしない。現象世界の栄枯盛衰を観つつ、無為の静けさと安らぎの内にいる。単なる幻とは違う。どうして清らかになろうと取り繕う必要があろうか。水は緑をうつし、山は青くして、いながらに万物の成否を観る。
 


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