2025-07-02 著者:小山一夫
原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。
禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
***********************************************

第3章 第十図 入鄽垂手
序
柴門独掩、千聖不知
埋自己之風光、負前賢之途轍
提瓢入市、策杖還家
酒肆魚行、化令成仏
柴門(さいもん)独(ひと)り掩(おお)うて、千(せん)聖(しょう)も知らず
自己之風光を埋(うず)めて、前賢(ぜんけん)之途(と)轍(てつ)に負(そむ)く
瓢(ひさご)を提(さ)げて市(いち)に入り、杖(つえ)を策(つ)いて家に還(かえ)る
酒(しゅ)肆(し)魚行、化(け)して成仏せしむ
頌
露胸跣足入鄽來
抹土塗灰笑満顋
不用神仙真秘訣
直教枯木放花開
胸を露(あら)わし足を跣(はだし)にして*(てん)に入り来る
土を抹(まつ)し灰を塗って笑い顋(あざと)に満つ
神仙真秘の訣(けつ)を用いず
直に枯木をして花を放って開かしむ
****************************
ところで、私には廓庵版でどうしても納得し難いことがあった。
それは廓庵版だけが他の牧牛図と異なり、牛の色が最初から最後まで黒色のまま変わらないことだ。これは、第二章で紹介した15種類の牧牛(象&馬)図では、廓庵版だけに唯一見られる特徴である。
普明版は勿論、清居版、チベット版、インド(ラダック)版、自得版、月坡版など他の全ては、黒色から徐々に白色に変わっていくものか、又は最初から最後まで白色か、のいずれかだ。つまり仏性(真我(プルシャ))の垢染が漸次浄化されてゆくパターン(神秀の偈に近い)か、或いは穢れの全くない無垢な真我(アートマン)観(慧能の偈に近い)を採用している。だから読んでいても、大変わかりやすく納得がゆく。
しかし、廓庵版はそのいずれでもない。牛が最後まで黒色のままなのだ。これでは仏性の垢染が浄化されないまま、悟りが充分でないのにもかかわらず、下化衆生ということで教義片手に布教に行くことになってしまう。