一般財団法人 野萩青少年育成財団
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ヨーガスートラ 考-27

2025-08-05 著者:小山一夫

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ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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「制感の行法を修習していくならば、ついには諸感官に、最高の従順さが生ずる。」(2-55)


博士の著書に寄れば
「感官の従順さとは、感官が、たとえ外界の対象へ向けられても、そちらの方へかけよらないことである。(中略)特に最高の従順さというときには、心が専念状態にある時に感官もまた外部の知覚を受け付けないことを意味している」(「ヨーガ根本経典」P114)
これは次の凝念に進む為の前段階と解釈してよいと思います。

凝念は、このような制感力の上に成り立つ境地ですから、博士が言うように、制感はヨーガ行法の本命ではなく、外部の部門としての役割なのです。

通常、従順とは、逆らうことなくおとなしく素直に従うという意味になりますが、私はいつも二つの座標の制御を通して理解頂いています。

 

それは心の座標と、身体の座標です。
このふたつがぴったりと重なっていると、心身に緊張をもたらします。


そこでわざと心の座標を意図的にズラすわけです。
そうすると内部に「ぶつかり」のない柔らかな心身が得られます。


つまり従順とは、諸感官の全てを一致させるということではないのです。

例えば、ふたつの座標を一致させますと、動きが固定されてしまいます。
従順であるべき、或いは従うべき対象は諸感官ではなく、自分自身の意思なのです。


ですから(2-55)は感覚、諸感官を自らの意思に従って制御できるようになるという意味に解釈すべきです。
 


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