2025-08-23 著者:小山一夫
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ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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一方、「定」は「透明な宝石がそのかたわらの花などの色に染まるように」ということですから、まさしく止観の「観」に通じます。
ところが、この定義によれば「定」とはその前提として「心の作用がすべて消え去った」状態であることが必須なのです。故に段階的に想が消えてゆく有想三昧とは、全く異なる世界だといえます。
この「想があるかないか」という点は三昧を理解する上でとても大事なポイントになります。なぜなら、ヨーガそれ自体の定義「ヨーガとは心の作用を止滅することである」(1-2)に直結するものだからです。
しかしながら、この「想」についての扱い方だけを分類の条件とするのはいささか早計だと思います。
そこでそのような表面的判断ではなく、別の角度から考察してみます。
「客体ばかりになり、自体をなくしてしまった」状態とは「自体=肉体感覚の消失」を意味しますので、これは「空」の境涯です。ちょうど無重力空間に自らの存在だけがぽっかりと浮かんでいるような状態です。
ヨーガの技術的にはさほど難しくないので、正しい方法で熱心に取り組めば体得できるはずです。