一般財団法人 野萩青少年育成財団
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ヨーガスートラ 考-40

2025-08-18 著者:小山一夫

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ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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8.三昧(samadhi)サマディ

「その静慮が、外見上、その思念する客体ばかりになり、自体をなくしてしまったかのようになった時が、三昧とよばれる境地である」(ヨーガスートラ3-3)


佐保田博士は「心理学的にいえば、主観の存在が忘れ去られて、客体だけが意識の野を占領する状態である」と書かれていますが、まさしくその通りだと思います。


私は「意と識の分離」というように説明していますがヨーガで止滅させる対象は「意」であり「識」ではありません。なぜなら識は意の働くフィールドであって、ヨーガの技術によって止滅させることはできないからです。つまり識なくして個の存在もありません。


また、この識は、個を超えて、全体とも繋がっています。ですからそこに全体との合一・融合(タントラ)の道が開かれるわけです。


後述しますが、ヨーガは意と「個の段階の識」を対象とし、タントラは個を超えたより深い階層の識を対象としているのです。
 


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