2025-09-03 著者:小山一夫
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ヨーガスートラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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ところで、以上の流れを理解した上でヨーガが宗教と混同される理由について考えてみたいと思います。
異論のある方も居られるとは思いますが、私はそれぞれの思想的背景に起因するものと考えています。
つまり、「真我と自性」、「アートマンとブラフマン」、「シヴァ神とシャクティ女神」といった関係を信ずるかどうかからスタートするわけですから、そこで「信仰」が要求されるのは当然の成り行きでしょう。どの解脱観を信じるかによって、選択されるべきヨーガ流派も必然的に決まってゆくわけです。なぜなら宗教的世界観への信仰は、対応関係にある解脱観と常にリンクし、その手段たるヨーガの技術体系も、セットとして設定されているからです。
ハタ・ヨーガ系流派ではシヴァ神を礼拝させる所が少なくありませんが、全てのヨーガ流派が同一の信仰を要求していないのはこの様な理由からです。
でも逆の見方をすれば、ヨーガは以上の各系統の他に仏教各派にも、そして道家等々さまざまな宗教・思想に取り入れられてきましたので、本来的には特定の宗教性がないといえます。
私は、ヨーガを宗教の呪縛から切り離し、そのエッセンスを如何にして取り出すかに苦心してきました。
本書を書くにあたってスッタニパータ、大パリニッバーナ経、ダンマパダなどの原始仏典そしてラーマナ・マハーリシ師の言行録等を度々引用致しましたが、それは信仰を否定し、他者への依存を認めない釈迦の姿勢に賛同するとともに、輪廻転生を否定し、盲目的な信仰を奨めないラーマナ・マハーリシ師の姿勢に心から共感したからです。
ヨーガを通して、強靭な体力、卓越した脳力、研ぎ澄まされた感覚、そして解放された意識を獲得することを目指すこと、ヨーガによって自らを輝かせ、一度しかない人生をより豊かなものにすることが何にもまして望ましいことだと考えます。