2025-09-12 著者:小山一夫
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ヨーガについて歴史的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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<参考>
*「御者が馬をよく馴らしたように、おのが感官を静め、高ぶりをすて、汚れのなくなった人-このような境地にある人を神々でさえも羨む。」(「ダンマパダ」第7章94)
このダンマパダ(法句経)でも「馬」を使って比喩されています。
前述のカタ・ウパニシャッドに従えば、馬は「知覚器官」(眼耳鼻舌身)で、御者は「覚」(理性、高次の意識器官)ということですから、手綱(意)を使って制御することによって「感官を静め、高ぶりをすて」るわけです。
*「実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧がほろびる。生ずることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな智慧が生ずるように自己をととのえよ。」(「ダンマパダ」第20章282)
この解説として中村元博士は、次のように説明されています。
「心が統一され-yoga.原始仏教もヨーガを認めていたのである。ヨーガとは『結びつける』という意味で心を散乱させないように一つの対象に結びつけることである。しかしそれは後代の曲芸のようなハタ・ヨーガとは異なっていた。」
釈迦は、悟りを目指して、各地の仙人を訪ね、遍歴を重ねながら、難行苦行に身を投じたのですから、当時行なわれていたヨーガ技法を当然知っていたわけです。
ですから釈迦が一時的でもヨーガ修行者であったという考え方は、決して間違ったものではないと思います。