2025-10-19 著者:小山一夫
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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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*「自在神というのは、煩悩、業、業報、業遺存などによって汚されていない特別な真我なのである。」(1-24)
*「自在神には、一切知の種子のなかの最高のものがそなわっている。」(1-25)
*「自在神は太古のグルたちにとってさえもグルなのである。なぜなら自在神は時間によって制限されたお方ではないから。」(1-26)
このように自在神の性格は、ヨーガスートラの記述によって然るべく既定されているわけですが「自在神への祈念」を実際にどのように行なうべきかという点では、祈念の対象について具体性が欠けているように思えます。
神像などもなく抽象的過ぎるため、姿形としてイメージすることができません。そこでヨーガスートラでは1-27以降に代替的な手立てを記したわけですが、当時の修行者たちにとっては、そのような聖音の観想では「生きたグル(人間)」から学ぶように、技術的な指導を受けることは困難だという結論に至ったようです。
そこで自在神になり代わって、人間と自在神の中間に位置する別の存在が求められました。その新たな存在に「生きたグル」の役割を担ってもらおうというわけです。
私見ですが、これについてはヨーガスートラの編纂された時代背景からも大きな影響を受けたように推測できます。
ヨーガスートラは紀元4~5世紀に編纂されましたが、ここで注目したいのは瑜伽唯識学の無着(アサンガ)の存在です。