一般財団法人 野萩青少年育成財団
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タントラとヨーガ 考-159

2026-02-26 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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後書き

「ヨーガとは心の作用を止滅することである」(1-2)
「心の作用が止滅されてしまった時には、純粋観照者である真我は自己本来の状態にとどまることになる。」(1-3)

ヨーガスートラによれば、ヨーガはこのように定義されています。
これは言い換えればヨーガの目的であり、ゴールを指し示すものです。
「心の作用の止滅」と「純粋観照者」
この二つのキーワードにヨーガの全てが集約されているわけですが、私は普段中国的に「止観」という言葉を用いています。

つまり「心の作用の止滅」を「止」に、「純粋観照者」を「観」に、置き換えて説明しているのですが、これらは別の見方をすれば、ヨーガを完成させるためのプロセスを表しています。


止を達成した後に、真の意味で観の領域に踏み入ることが出来るということです。技術的には内観から外観へ、そして内外の境をなくすことで観に至るわけなので、簡単な道ではありませんが。

瞑想という言葉があります。
瞑目というように「瞑」という語には「閉じる」という意味があるわけですから、
瞑想とは「想い」を閉じることだと解釈できます。
「想い」とは「心の相」です。

たとえば家相という場合、それは建物の間取りを指すのではなく、その間取りが空間の中にどのように位置づけられているか、つまり方位との関係(置かれている状況)が最も重視されます。さらに正確を期すならば、「龍」(エネルギー場から観た地形との関係)や、時間軸の要素なども考慮することになります。ですから「心の相」も同様で、心の置かれている状況を空間や時間の複合的な視点から、多角的に捉えなければなりません。

そして瞑想とはそのすべてを自ら「閉じる」ことなのです。
つまり瞑想とはまさに「止」そのものを意味しています。
これまで瞑想とは「何かを一生懸命に思い浮かべること」のように思われてきましたが、実際にはそれは誤解であって全く正反対の行為なのです。では正しい瞑想によって「心の作用を止滅」させたら何が起こるのでしょうか。
 


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