一般財団法人 野萩青少年育成財団
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タントラとヨーガ 考-85

2025-12-09 著者:小山一夫

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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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6.無との融合


「真我の中に確立(アートマニシター)された人にとっては、一瞬でさえその没我状態から動いてはならないことが重要である。真の本性からそれると、彼は燦然と輝く光を見たり、霊妙な音を耳にしたり、彼の内面或いは外面に現れる神々の幻想を実在だと見なしたりしてしまう。彼はけっしてこのようなことに惑わされて自己を見失ったりしてはならない。」(「あるがままに」P206)

禅では「仏に会ったら、仏を斬れ」といいますが、これは釈迦仏教本来の姿である信仰の放棄に通ずるものだと思います。偶像崇拝に囚われていたら、真の見性(悟り)には至らないという教えです。


確かに、戒律と信仰を重んじる宗教的ヨーガを実践する人ならば、サハスラーラ・チャクラの迫力ある光輝を目の当たりにした時に、それを神仏と誤解してより深い信仰に向かってしまうでしょう。

 

その場合、その方の宗教心は満たされるかもしれませんが、ヨーガの進歩はそこで止まってしまいます。なぜなら、その光輝を神仏と思い込み拝んでしまいますと、その中に入ることができないからです。空と虚の悟りならまだしも、無の領域には至ることはできないでしょう。


ですからラーマナ・マハーリシ師の言うように、「このようなことに惑わされて自己を見失ったりしてはならない」わけです。

 


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