一般財団法人 野萩青少年育成財団
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タントラとヨーガ 考-69

2025-11-23 著者:小山一夫

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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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マイトリ・ウパニシャッドでは、このようにオームについてかなり詳しく説かれています。特に唵を用いてスシュムナーを上がってゆくという辺りはなかなかのものだと思います。


私は師伝で習いましたが、もしもウパニシャッドだけを頼りにしていたら、直観智に優れた余程の天才でもない限り、実現するのは難しいと思います。ですからウパニシャッドとは、おそらく修行者向けのマニュアルであり、確認の為の書なのでしょう。

プラシナ・ウパニシャッドには(「ウパニシャッド」P270)
三種類の聖音観想法が述べられています。(5-2、5-3、5-4、5-5)


・「唵」つまりオームを一音量として観想する
・二音量によって「意に会得する」
・「ア、ウ、ムという三音量から成るこの一音綴を以って至上の神我を観想」する

この三音量の場合ですが「彼は光明体たる太陽に入」ることができるとあります。これは先のマイトリ・ウパニシャッドに関連付けて考えるとわかりやすいと思います。


21のところで、私は「我身の内部だけの存在ではなくなり、無とのリンクが確立した状態」と書きましたが、どこでリンクが構築されるかというと、それはサハスラーラ・チャクラなのです。


22の「上方に登れば、終に無声梵の中に消融する」というのも、登った先のドアはやはりサハスラーラ・チャクラそのものです。つまりスシュムナーは、サハスラーラを出入り口として、無とリンクされているわけです。


ですから「光明体たる太陽」つまりサハスラーラを見ているだけでは駄目で、そのなかに「入る」ことが要求されるわけです。それによって「梵天界に導かれ」「神我を見る」(5-5)ことになります。
 


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