一般財団法人 野萩青少年育成財団
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タントラとヨーガ 考-93

2025-12-17 著者:小山一夫

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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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私は昔、輪廻について次の様に書いたことがあります。


「Bodyは器であり、Mindは脳の働きである。生命の根源たるものはSpiritとしてBodyに命の息吹を与え、而してMindを観照する。


海に行きコップで海水をすくう。コップは器であり、海水をすくうことで生命を宿す。もしもコップの海水を海に還したとしよう。再び、海水を器にすくったときに、最初の海水と次の海水は同じものだといえるだろうか。海水は器にすくわれたときに『個』としての存在を与えられる。その『個』が全体に帰して、ひとたび融合されたならば、もはや決して同じものは還らない。


カラの器こそまさに『虚』であり、(例えば無重力空間で)中の水だけになるならば、それは『空』だ。そして海に還り全体と合一・融合した時こそが、『無』なのだ。


『空、虚、無』という言葉は、般若心経などの経典に数え切れないくらい出てくる言葉だが、学者や僧侶の解説本などを見ても、その言葉の意味の違いについて明瞭に述べたものを私は知らない。」

ラーマナ・マハーリシ師は
「ヨーガは、以前に区別があって、のちにひとつのものが別のものと合一することを意味している。だが、いったい誰が誰とひとつになるというのだろう?」(P253)と述べています。


もともとひとつのものであり、また同じ質を持っているわけなので、本来ならばいつでもひとつに戻れるわけですが、そう簡単には事は運びません。なぜならそれにはタントラの特殊な技術が必要だからです。ヨーガはその前段階として役立ちますが、あくまでそれは補助的な位置付けでしかありません。


つまり究極のムスビとは、なにか別のものと結合することを意味するのではなく、「元の状態にムスビ直すこと」だと、考えるべきなのです。
 


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