一般財団法人 野萩青少年育成財団
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タントラとヨーガ 考-91

2025-12-15 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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ではこの「恐れ」はどこから来るのでしょうか。
そしてなぜ「消え去る」のでしょうか。


その答えのヒントは、「自我が何の跡形もなく完全に死に絶えるとき」にあります。

 

自我が死に絶えるとは、どのような状態であり、どうすればそうなるのか、それがわかりませんとラーマナ・マハーリシ師の真意は明らかになりません。

先に私は「肉体の感覚は④で消失していますので、存在だけが漂っているような感覚ですが、その中心といいますか、深部に近づいてゆきますと、今度は存在それ自体が希薄になってゆきます。この時の雰囲気はとても言葉では表現できませんが、まさに⑥の合一から⑦の融合へと変わってゆくプロセスそのものを味わいます。」と書きました。


実は、この自らの「存在それ自体が希薄」になる時に、「恐」「畏」が湧き上がってくるのです。


それは自らの存在そのものが「消えてゆく」ことへの、何とも言えない未知への不安と恐れだといってよいでしょう。ところがこの「恐」「畏」はある瞬間にふっと姿を消します。


ラーマナ・マハーリシ師は「自我が何の跡形もなく完全に死に絶えるとき」と形容していますが、まさにその通りだと思います。そこでは「恐」「畏」のみならず、もはや信念や信仰なども一切介在する余地はありません。堅持すべき理念も、祈るべき対象も、なにも存在できないのです。


つまり究極のサマディとは、無との融合なのです。
 


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