2025-12-15 著者:小山一夫
原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
***********************************************
ではこの「恐れ」はどこから来るのでしょうか。
そしてなぜ「消え去る」のでしょうか。
その答えのヒントは、「自我が何の跡形もなく完全に死に絶えるとき」にあります。
自我が死に絶えるとは、どのような状態であり、どうすればそうなるのか、それがわかりませんとラーマナ・マハーリシ師の真意は明らかになりません。
先に私は「肉体の感覚は④で消失していますので、存在だけが漂っているような感覚ですが、その中心といいますか、深部に近づいてゆきますと、今度は存在それ自体が希薄になってゆきます。この時の雰囲気はとても言葉では表現できませんが、まさに⑥の合一から⑦の融合へと変わってゆくプロセスそのものを味わいます。」と書きました。
実は、この自らの「存在それ自体が希薄」になる時に、「恐」「畏」が湧き上がってくるのです。
それは自らの存在そのものが「消えてゆく」ことへの、何とも言えない未知への不安と恐れだといってよいでしょう。ところがこの「恐」「畏」はある瞬間にふっと姿を消します。
ラーマナ・マハーリシ師は「自我が何の跡形もなく完全に死に絶えるとき」と形容していますが、まさにその通りだと思います。そこでは「恐」「畏」のみならず、もはや信念や信仰なども一切介在する余地はありません。堅持すべき理念も、祈るべき対象も、なにも存在できないのです。
つまり究極のサマディとは、無との融合なのです。