一般財団法人 野萩青少年育成財団
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タントラとヨーガ 考-134

2026-02-01 著者:小山一夫

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ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。
(「ヨーガの極意」より)
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ところで「恋愛」というとき、恋と愛の二文字を使いますが、漢字以外でこのふたつの語がべつべつに存在するのは、世界中見渡してもほとんどないそうです。確かに英語でも恋と愛は共にLOVEの一言です。文字が別々だということは、それだけ思いに広がりと深さがあるということです。


漢字に限らず、日本語には「わび」「さび」のように、簡単には説明できないような状況(感情)表現が少なくありません。ですから本来は、それだけ繊細で奥行きのある心を持っている民族なのでしょう。


以前恋と愛の違いは何かと聞かれたときに私は、「愛は共有できるが、恋は共有できない」と答えました。もっともそう言ったそばから「共有できる愛」とはどのようなものか、考え込んでしまったのですが。

リードビーター師は
「第四の中枢が目覚めるようになれば、人間には他のアストラル的存在が発する波動を感知し、共鳴する能力が備わってくる。したがって彼は本能的に、他の存在の感情をいくらか理解できるようになるのである。」(「チャクラ」P93)

「心臓にある第四のチャクラが刺激されると、人は、本能的に他人の喜びや悲しみを感じ取るようになる。時には、他人に共鳴することによって、彼らの肉体的な苦痛まで自分自身の中に感じてしまうようにさえなる。」(P99)と言っています。


これは共鳴することによって、同じものを見たときに、同じ感動を受けたり、同じ悲しみを味わったりという事なのでしょう。そしてそれを繰り返すことによって、徐々に「共有」へと結びついてゆくのではないでしょうか。
 


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