2026-03-11 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2002-8-31
修行について。
「静かに黙し、無為にして座す。 やがて春が来て、草はひとりでに生える。」
釈迦は六年間くらいで悟ったといわれている。
その内の5年強は言わば回り道のように一般に理解されているが、私はそうは思わない。その一見無駄なような5年間があったからこそ釈迦は飛翔することが出来たのだ。
ところで、ヨーガへのアプローチには2種類ある。
ライフスタイルの一環として少しづつ取組んでいく道と、短期間に集中して修行しある段階の目標達成をする道だ。そのどちらがいいかは個人の好みだろう。
バジアン先生が主宰する3HOは前者の歩み方を採っているが、私は気が短いせいか後者を選択した。高校生の頃から生き方の探求に目覚めた為に、とにかく徹底的に真正面から命懸けで取組んだ。それが適切だったかどうかは何ともいえないが、少なくとも自分自身ではある程度満足ゆく結果を得ることが出来たと思っている。
修行に集中できた頃の日課といえば、
朝4時半頃からヨーガを2時間半か3時間半。朝食後に真言宗醍醐派の修法を1セット約1時間。昼食前にヨーガを30分~1時間。午後2時頃から修法を1セット、夕食前にヨーガを30分~1時間。夕食後写経を30分。空いている時間は色々な本を読んで勉強した。
東京にいる時は、しばしば週末に高尾山の蛇滝で午後10時、12時、午前2時、4時の4回の滝行。また毎月一度か二度は福島先生と共に各地で火生三昧、つまり火渡り修行があった。また一人で何度か水だけの完全断食。。。
その後、仏教の世界から離れ、一切の宗教的信仰心を持たなくなったが、学んだことは智識として役立っている。今は、肉体を傷めるような断食や滝行などについて好ましく考えていないが、それはそれでよい経験になったと思う。
釈迦は苦行を無駄だと悟って菩提樹の下で瞑想に入ったといわれるが、もしも何ひとつ下準備なく菩提樹に向かったとしたら、果たしてあのような短期間に良い結果を得られたかどうか疑問だ。
スッタニパータ等の原始仏典を読むと釈迦の理解の深さがよくわかる。
ほんの数日座った程度で至れる境地ではない事は明白だ。
つまり数年間の地道な努力があとで生きてくるわけだ。
努力が実らないならば、殆んどの場合努力の仕方に問題があると受け止めて、ディテールを再考すべきだろう。正しく行なわれるならば、必ずや流した汗は報われるに違いない。そして自らの積み重ねた努力に対して誇りと自信を持つことだ。