2026-05-26 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-2-16
タントリック・ヨーガ-17 道家とヨーガ
ここで歴史的に道家とヨーガがどの様に関係し合っていてるかを考察したい。
文献的に見て、最初に仙道理論に通ずる詳細な記述が現れるのは、黄帝内経(紀元前2-1世紀頃)、周易参同契(紀元200年頃)辺りだろう。だが紀元前3世紀、秦の始皇帝の時代には既に多くの道士が活躍し、何がしかの仙道が体系化されていたのは周知のとおりだ。
始皇帝は紀元前219年、徐福に数千人の青年男女を与えて蓬莱に不老長寿の仙薬を探しに行かせたが、ついにその目的を果たすことなく世を去る。。始皇帝に限らず権力の頂点に立った皇帝達は皆同様にその栄華の永きを望む訳だが、そのような背景も仙道の発達を支えたに違いない。
当時の道士はそれこそ錬金術から始まり幅広い知識をもっていた。ある意味で仙道の修行は自らの身体を素材にした錬金術とさえ言ってよいだろう。皇帝という最高の資金的後ろ盾を得て、彼らは中国医学の智識から始まり、当時の科学の粋を修得していた。先端技術はいつの世もそれを求めるもの達にとっては、常に金銭的な価値が伴う。つまり道士達はある意味、内外の先端技術を捜し求め、それらを自らの体系に整合性をもって組み込み、商品化していった。
釈迦と孔子はほぼ同時代に活躍し(紀元前5世紀)、原始佛典の成立と荘子(紀元前4世紀)も時代的に左程離れていない。
中国に仏教が伝来したとされているのは、紀元前1世紀辺りだが、伝播した経路はガンダーラからカラコルム山脈を越え、シルクロードを伝って中国にもたらされたと考えられる。
シルクロードの完通は紀元前2世紀以前であることは間違いない。ましてインドと中国間は地理的にもヒマラヤ山脈とチベット高原を隔てて隣り合っている。三蔵法師が天竺へ往来するくらいだから、それ以前から商業・流通ルートが確立され、文化的な交流が盛んに行なわれていたことは容易に想像できる。例えば、紀元1世紀には漢書を著した班固の弟班超がカスピ海以東へ遠征し、部下の甘英をローマに派遣している。人間の交流は当然文化の交流でもある。仏教伝来後も5~6世紀にゾロアスター教、7世紀前半にネストリウス派キリスト教、7世紀末にマニ教などの宗教がシルクロードを通じて中国に流入した。
当時、医学的に中国は最先端を走っていたのは間違いない。それは湯液医学に限らず、養生医学についても然りである。道士はかれらの必習科目のひとつとして「医」を位置付けていたが、それが内丹・外丹などの道家の行法を深めることに繋がったのだろう。