2026-04-19 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-1-11
達磨-2 菩提達磨大師頌
『「ダルマさん」と親しまれる禅宗の始祖、菩提達磨が没したとされる中国・河南省の熊耳山(標高912メートル)のふもとで、「菩提達磨大師頌」と書かれた石碑と墓塔が見つかった。石碑の碑文には達磨と親交のあった梁の武帝(在位502-549年)が書いた、と記されてあった。本当に武帝のものか、石碑がいつ建てられたかなど今後の研究が必要だが、初期禅宗史を書き換え、達磨の実像解明の大きな手がかりになりそうだ。発見したのは、中国の仏教史跡を調べている華厳学研究所(東京羽村市)の小島岱山所長(52)。熊耳山を訪れたのは8月26日。外国人の入れない未開放地区だが、許可を得て陝西文物国際旅行社の日本部長が案内した。
河南省の洛陽から車で約2時間。村人に聞きながら、山すそまでくると、大平原に高さ15メートルほどの墓塔と、石碑があった。石碑は、約3・6メートル、幅90センチ。碑文の最初に「梁武帝撰」とあるのを見て、「驚きました。まさかと思った」という。ダルマの表記は、「達磨」が定着しているが、碑では「達摩」だった。石碑は野ざらしで傷みがひどく、所々に亀裂が入り変色していた。拓本を採る時間がなかったため、碑文を写真に納めた。
帰国後、再構成したところ、全部で約千文字あり、天竺出身の達磨が大通元年(527年)に中国に入ったことや、人格も知力も優れた人物だったので梁朝挙げて敬愛したこと、武帝が禅思想をどう受け止めたかなどが書かれていた。
碑文によると、達磨は大同2年(536年)12月5日に洛州の禹門(現在の龍門石窟)で死んだ。武帝がこの文章を書いたのは同月15日。石碑が建てられた年は書かれていないが、墓塔が大同4年(538年)に建てられており、「恐らく石碑も同時に建てられたのではないか」と小島さん。
唐時代に書かれた「宝林伝」(801年)に、武帝の達磨碑銘が引用されている。小島さんが全文を照合したところ、宝林伝には誤字や脱字、記録漏れが多かった、という。
また、自分の師が中心になるよう禅宗史をねじ曲げたと批判される神会(684-758年)という禅僧も、武帝が達磨の碑文を書いたと記しているが、日本の研究者の中には「神会の創作ではないか」と見る人も多い。
今回見つかった石碑は原石そのもので、当時を代表する文化人でもあった武帝の書いたものならば、信用度は極めて高いと見られる。達磨については多くの伝説があり、熊耳山に埋葬されたという話も、「後世の作り話」と見られがちだった。』1999年9月16日付の朝日新聞より抜粋