一般財団法人 野萩青少年育成財団
記事一覧に戻る

2003年の日記から―47

2026-04-16 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

昔書いた日記からいくつかアップします。

 

 

2003-1-8
禅の十牛図-1


「禅は一切の偶像を否定する。わが心が仏である。心以外に仏はない。一切の偶像を否定する禅が、なぜ達磨の画を大切にするのか。それは心の比喩としてあるのである。曰く言い難い禅の心の比喩、象徴として禅僧の描いたのが達磨の画である。曰く言い難い禅の心を、比喩により、象徴によって表現しようとしたところに、『達磨図』があり、「十牛図」があり、すべての禅芸術がある。」梅原猛


私はそうは思わない。

達磨の事績と後世の禅宗のあり方を見ればわかりそうなものだが。


梅原先生の本を最初に読んだのは『神々の流竄』だった。
古事記はかれこれ30年近く読んでいるので、その本を見た瞬間に間違いに気付いた。いつか梅原先生に私の考えを伝えたいと考えている次第。「古事記の編纂者=藤原不比等」という先生の推理を真っ向から理論的に否定することになるだろう。ここでは書かないが、不比等の近親者たる中臣大嶋や中臣の祓い祝詞との関連を調べれば一目瞭然。間違っても「古事記の編纂者=藤原不比等」などという荒唐無稽な説はでてこないはずだ。


ところで達磨図だが、これは達磨の人生・修行法を調べると共に、スッパニパータ1064(釈迦とドータカの会話)を読めば、禅本来の姿とのギャップが見えてくるだろう。達磨本来の禅は達磨図や仏像への読経などという比喩や偶像崇拝儀式を許すだろうか。達磨について語るのであれば、原点に返って達磨の法・禅に対する考え方を学ぶと共に、せめてスッパニパータくらいは読んで欲しいものだ。


沢庵禅師曰く『佛は法を売り、祖師は佛を売る。末法の僧は祖師を売る。』
 


元記事