2026-05-05 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-1-30
タントリック・ヨーガ-4 密教の護摩法
日本密教の護摩法について検討したいと思う。
3種類のタントリック・ヨーガについてはその位置付けを下記に記した通りだが、日本密教に於いても例えば護摩法をみた場合、それらしき区分を窺い知ることが出来る。護摩法には、大別して4種類あるといわれている。息災護摩、増益護摩、調伏護摩、敬愛護摩の4種だ。息災・増益護摩はどちらかといえばホワイト・タントリック・ヨーガの領域と言えないことはない。調伏護摩はそのものズバリ、ブラック・タントリック・ヨーガだろう。敬愛護摩はホワイト・タントリック・ヨーガとレッド・タントリック・ヨーガの両方に跨る可能性がある。以下は目的別の護摩壇の形状。(略)
・敬愛炉は、目的とする人からの敬愛、人望などを得る為の修法(敬愛法)に用いる。(異性対象とは限らない)
・息災炉は、無病息災を祈る修法に用いる。運気好転と災過回避を目的に使用される。
・増益炉は、文字通り、運気を更に高め幸運の増進へと導く修法に用いる。
・調伏炉は、所謂相手に災いを及ぼす呪法で、古くは将門、近代では第二次大戦時ルーズベルトに対して用いられたという。
本来戒律で殺生を厳しく禁止する仏教になぜ教えに逆行する法があるのだろうか。これは仏教だけでなく、キリスト教、ユダヤ教等々世界的な宗教にも言える事だが、「汝殺すなかれ」と言いながら、神自身が殺人を命じることも少なくない。また、有名な大宗教家が、自らの依経とする経典に逆らうものを害することが最大の功徳であるなどと書いているケースすらある。
また現在のみならず、歴史を振り返っても、神仏の名のもとに数え切れない程の戦争が起こされてきた。愛と平和、悟りを説きながら何故平然と殺し合いを認めるのだろうか。この様に(全てではないが)宗教が殺人を容認する「暗」の部分を潜在的に持っているが故に、この様な言わば殺人を目的とした調伏法が正義の名のもとに修法されることになるのだろう。勿論、それぞれの宗派にはそれを正当化する論理が見事に構築されているが、それらはあくまでも自らの宗教の教義に依拠している。だが、それでは他者を説得する力に欠けると考えるのは私だけだろうか。つまり正義を説く時の認識・判断基準が問題なのだ。私は、それが個々の宗教を超えて広く人々を説得できるだけの論理性を持たなければならないと考えるが、如何に。
<参考>
① 神が殺人を命じるとき (佐倉哲先生)
② 秋元御書より
「不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり、五戒の初めにも不殺生戒 八戒十戒二百五十戒五百戒梵網の十重禁戒華厳の十無尽戒瓔珞経の十戒等 の初めには皆不殺生戒なり、儒家の三千の禁の中にも大辟こそ第一にて候へ、其の故は「満三千界無有直身命」と申して三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし、蟻子を殺す者尚地獄に堕つ況や魚鳥等をや青草を切る者猶地獄に堕つ況や死骸を切る者をや、是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり、況や供養を展ぶ可けんや、故に仙予国王は五百人の法師を殺し覚徳比丘は無量の謗法の者を殺し阿育大王は十万八千の外道を殺し給いき、此等の国王比丘等は閻浮第一の賢王持戒第一の智者なり、仙予国王は釈迦仏覚徳比丘は迦葉仏阿育大王は得道の仁なり、今日本国も又是くの如し持戒破戒無戒王臣万民を論ぜず一同に法華経誹謗の国なり、設い身の皮をはぎて法華経を書き奉り肉を積んで供養し給うとも必ず国も滅び身も地獄に堕ち給うべき大なる科あり、、」
③ 「七倶胝佛母所説准提陀羅尼経」より
「無間地獄に堕ちる罪を犯し、大乗仏教の教えを誹謗し、佛性を湮滅し、君主に背逆し、正法を惑乱する。そのような人に対しては、深く悲愍を起こし、まさに降伏法をなすべし」
④ 謗法者を呵責する事は時によって功徳があると説かれた経典として涅槃経巻三金剛身品第二もあげられる。