2026-05-07 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-2-1
タントリック・ヨーガ-6 秘密集会タントラ
チベット密教でいう無上瑜伽タントラは、秘密集会タントラという経典から始まる。この経典は金剛頂経の流れを汲みつつも、従来の仏典とは完全に趣が異なるといわれるが、それは出だしの一文から明白だ。
「以下の様に私は聞いた。ある時、世尊は一切如来の身語心の心髄である諸々の金剛妃の女陰に住しておられた。」
もしも釈迦が生きていたら卒倒しかねない内容が続くわけだが、これを日本密教は仏教の堕落とみたわけだ。
もっとも此れに至る流れは既に金剛頂経とほぼ同時期に編纂された理趣経(7世紀)にも読み取ることが出来る。この経典は我が国では最澄が空海に閲覧を拒否されたことで有名になったが、生真面目な最澄にはとても理解できないことは、空海ならずも容易に察知できたことだろう。
なぜならば、セックスを17種類に描写(17清浄句)してそれら全てを菩薩位だと説いているのだから、戒律に厳しい最澄には先ずもって受け入れ難い内容に違いない。それこそ偽経だと騒ぎかねない代物だ。
今日でも真言宗では何故か葬式の際にこの経典を読誦するのだが、一般大衆にわからないように漢音で発音することになっている。つまり、菩薩位であればフゥーサッーイと読誦する。他の殆んどの経典が呉音によるわけだから異例中の異例だといえよう。(言うまでもないことだが漢訳経典は基本的にサンスクリット語などからの音写に漢字を当て嵌めたものだ。翻訳師の偉大な所は表音をベースとしながら表意文字を巧みに対比させた所にあると思う。つまり今日に喩えれば、英文にカタカナでフリ仮名を振ったのではなく、経典本来の意味を熟知した上で、同じ「意味と発音」を併せもつ漢字を選んで字を充てていった訳だ。それには相当な智識と深い理解が必要になる。この視点での評価は今日まであまり為されていないが、漢訳経典を評価する際の大事なポイントのひとつではないだろうか。)だから遺族や参列者には何のことだか全く理解できない。ただ有り難いお経をあげて頂いていると勝手に思い込んでいるわけだ。もしもその内容を解説したら、みんななんて思うだろう。性的な描写のみならず、次のような文章も含まれているのだが。(第三章「降伏の法門」より)
「金剛手よ、もしこの真理の道を聞いて記憶にとどめ読誦するなどの行為を為すならば、その人はたとえ3界の生きとし生けるものをことごとく殺し尽くしたとしても、地獄には堕ちない。なぜならば、その人の行為は、ありとあらゆる煩悩を調伏するための実践に他ならず、それゆえにかえって境地を高める行為となって、速やかに 無上の悟りを獲得することが出来るからである。」
殺戮が悟りへの道だとは実に驚きである。仏教の経典には様々なものがあるとはいえ、原理主義的な狂者が理趣経の文面をそのまま受け止めて犯罪を起こさないように祈りたい。
さて秘密集会タントラ(グヒヤサマージャ・タントラ)だが、この経典は激しい性的な教えのみならず、オウム真理教事件でも取上げられたように、極めて誤解を受けやすい殺伐とした内容も含んでいる。それ故、下記で述べた度脱が正当化される理由を与えてしまったのかもしれない。かっては灌頂の各段階に至らなければ秘密経典は見ることすら出来なかったわけだが、今では書店で容易に手にとることが出来る。御興味のある方は、参考までに一度読まれてもいいかもしれない。
「秘密集会タントラ和訳」松永有慶著 法蔵館
<参考>
玄奘三蔵(602-664)は17年をかけ25000キロの道程を踏破し657部の経典を持ち帰った。国禁を犯して渡印した三蔵は22頭の馬に貴重な仏典を積んで帰国したが、(西遊記がそこで終わっている為か)その後翻訳に20年の年月を費やしたことはあまり知られていない。