一般財団法人 野萩青少年育成財団
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2003年の日記から―84

2026-05-22 著者:小山一夫

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昔書いた日記からいくつかアップします。

 

 

2003-2-12
タントリック・ヨーガ-16 ツォンカパ


チベット密教の大改革者として名高いツォンカパ(1357-1419)は、顕教と密教をひとつの流れに纏め上げた体系をつくった事で知られる。彼は乱れていた風紀を正して戒律を復興し、インド密教の果たせなかった課題、つまり無上瑜伽タントラと顕教の統合を果たし、性瑜伽と戒律の問題に答えをだした。その流れはアティーシャ、プトゥンの偉大な師の業績の上に成り立っているが、ツォンカパ自身の深い洞察力と探究心は単なる学問の領域を越えて、チベット密教の真理を体現したと言われている。(ダライラマはこのツォンカパの確立したゲルク派に属し、現在チベット密教最大の派となっている。)


彼はプトゥンがカーラチャクラタントラを至上としたのに対し、秘密集会タントラ(聖者流)を最上と位置付けた。また生涯独身を貫くなど仏教本来の戒律を要求し、性瑜伽の実践と呪術も原則禁止した。


しかしながら彼は性瑜伽の効果については否定しなかった。通常の場合、観想で性瑜伽の相手としての女性(神妃)を想起させるべしと結論付けたが、現実の女性との性瑜伽を許可する特別な条件も著書の中で述べている。ただしその条件とは、まずクリア不可能なものであり、現実に実行するのはとても困難だ。つまり全面否定はしないけれども、ハードルを限りなく高くしたわけだ。もっとも条件をクリアしたか否かは師僧のチェックもさることながら、最終的には当事者の判断によるものだが。


ところで、ゲルク派の伝承によれば、ツォンカパ自身は生前性瑜伽を修行せず、死後中有の状態で明妃と性瑜伽を実践し解脱したとされている。後年、ゲルク派の厳しい戒律を嫌気して性瑜伽を修行する為に、ニンマ派のような性瑜伽に寛容な他の派に転じた僧が少なくないのは、そのような伝承の影響もあったのではないだろうか。聖者として名高いツォンカパですら、生前解脱できず、死後性瑜伽によって解脱を達成したというくらいだから、即身成仏を求める密教修行者にとっては、性瑜伽の持つ神秘的なパワーへの憧憬、魅力は多大だったのだろう。


確かに、レッド・タントリック・ヨーガを観想だけで行なうのにはかなり無理がある。本質的な問題として、そもそも性瑜伽つまりレッド・タントリック・ヨーガとは別にホワイト・タントリック・ヨーガが用意されている理由を考える必要があるだろう。
 


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