一般財団法人 野萩青少年育成財団
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2003年の日記から―81

2026-05-19 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

昔書いた日記からいくつかアップします。

 


2003-2-9
タントリック・ヨーガ-13 究竟次第


生起次第で空性の智の体験とか合一とかがテーマとされているが、本当に出来るのだろうか。観想とはあくまで自らの思い込みに過ぎない。その辺りが観念遊戯と揶揄される由縁でもある。空ひとつとっても中観の根幹に位置するものでありそんな簡単に体得できるものではない。生起とは言わばリアルな観想を意味する。どんなに観想に没入してもそれはあくまで観想つまり本人の積極的な思い込みの域を出ることはない。そこでより(心理的・生理的な)深みに至るために古代ヨーガの真髄ともいえる究竟次第が必要になる。


究竟次第(ゾクリム)とはまさにチベット密教最深奥の奥義だと言える。そこには生起次第にあるような儀軌や所作は殆んど存在しない。それは後世の宗教的な儀礼を越えた古代タントリック・ヨーガの原型に近いものに他ならない。そして極めて秘儀性が高く特定の選ばれた者のみが伝授を受ける伝統的しきたりが受け継がれている。


究竟次第では修行者にまず風(ルン)の制御を達成させる。ルンとはサンスクリットではプラーナ気に相当する。術者は体内外に自由にルンを運転活用する。それはナーローの六法にあるトンジュク(マルパ後失伝している)にも通ずる技法だが、当初は体内での自在な制御を果たさなければならない。このルンの体内制御には、脈管(ナーディ)の浄化と活用がまず必要になるという。


秘密集会タントラでは体内に72000管のナーディがあるとされているが、その中で特に重要なのは、ヨーガ理論と同じで、中央脈管(スシュムナー)、右管(ピンガラ)、左管(イダ)の3種類だ。チベット密教では中央脈管は左右の脈管によって締め付けられている為に通常その内部は真空になっていると説く。故にルンは意識を乗せてこれら左右2管を中心に全身をめぐっていると解釈されている。

 

またこの絡み合った接点には神経が集中しておりそこにチャクラ(秘密集会タントラでは5つ。頭頂、喉、胸、臍、そして大股の付け根の中央脈管にある守楽輪)が存在すると考えられている。ただ時輪タントラでは別の解釈をしているのでチベット密教でも意見は分かれているが、それは本来のヨーガ理論が様々な仏教的脚色によって変質した為だろう。ヨーガとの対比でも首を傾げる部分が多いが、それは別の機会に解説したいと思う。
 


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