2026-06-21 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-6-3
孫禄堂老師 明・暗・化勁と丹道の三層-2
この項は火候と勁そして境涯の関係について大変深い内容を語っている。
この部分を読んだだけでも孫禄堂老師の修行の深さが推察できるし、その得られた境涯の高さも明らかだ。
ある意味、本書の中でも極意に相当する部分なのかもしれない。
ここでまず始めに、火候について検討したい。
内功法と呼吸との関係は極めて密接であり、許進忠老師も言っているように、「呼吸の問題に触れない仙道書はない」のだ。故に、内家拳に代表される武術が内功法を修行カリキュラムに組み込んでいるのは、武術気功の原点がそこにある以上、当然だと言える。今回は、仙術書として歴史に残る名著「築基参証」(許進忠老師著)を参照しながら、孫禄堂老師の言葉を検討してゆく事にする。
まず「武息=武火、文息=文火」という誤解から説明したい。
初心者のうちは、確かに呼吸法から火候を誘導する為、そのような対応関係もあるが、技法が磨かれてくると、文息でも武火を起こせる様にその様な対応関係は意味をなさなくなる。許進忠老師は、「火候の運用には主として風と火というふたつの事項がある」と説明しているが、風つまり呼吸と、火つまり築気の状態とは別の意味としてとらえておかないと先々の進歩がない。
この様に言うと、疑問をもたれる方がいるかもしれないが、そのような方にはひとつ質問をしたいと思う。
「では第三層の火候純とは武火に近いのか、それとも文火に近いのか」と。
私は火候純とは自らの恣意的な意志によらずに、その時折の状況に従って最も適切な火候を自動的に生みだす自在な境地だと解釈している。つまり無意識に最善な状態を導く至高なる境地と言っても良い。
それはある意味、虚の世界に属する。つまり意志による作為的なものではなく、最も自然な流れに従うの境涯なのだ。
そこでは、呼吸の操作などもはや必要ない。最も自然な呼吸が最も純粋な火候を生み出している。
では、その上に位置する「無勁、無火」とは何なのだろう。
練虚合道と言うが如く、それはまさに道つまりTAOとの合一であり、無為の「起こり」そのものだ。
「往けば道に合わないものはない」とは孔子の説く「思いに従って矩を越えず」と同一であり、全てが真理の法則に従う様を表わしている。これは発勁の段階にもそのまま対応する。次に、発勁の実際に照らしてさらに具体的な説明をしたいと思う。