一般財団法人 野萩青少年育成財団
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2003年の日記から―107

2026-06-14 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

昔書いた日記からいくつかアップします。

 

 

2003-5-26
三層の呼吸(郭雲深)-1


2003-5-9でご紹介した本の中から、呼吸についての大変興味深い一説を考察したい。
『郭雲深先生は言った。
 形意拳術を練るには三層の呼吸がある。


 拳術修練における第一層の呼吸法とは、まず舌を巻き、上顎に着け、口は開くに似て開くにあらず、合わせるに似て合わせるにあらずという形である。呼吸は自然にまかせ、意が呼吸にとらわれてはならない。こうすれば手足の動きはおのずから規矩に合う。これを調息の法則とする。これはまた練精化気の修練でもある。


 拳術修練における第二層の呼吸法とは、口の開合と舌先を上顎に着けるなどの規則は第一層と同じであるが、ただ呼吸が異なってくる。前者は手足の動きと合わせ、これを調息の法則とした。ここでは「息調」である。


 前者は口と鼻で呼吸する。これによって内外を通じさせているに過ぎない。この第二層においては、丹田の内呼吸に意を集中するのである。これは胎息ともいわれる。練気化神の理である。


拳術修練における第三層の呼吸とは、上述両層の意とまた異なってくる。第一層は明勤であり、外に形作られる。第二層は暗勤であり、内に形作られる。第三層の呼吸は有れども無きが如く、忘れたかと思えばたちまち補うという心である。これはすなわち神化の妙用である。心中は空々洞々、有にあらず無にあらず、まさに声無く臭い無き還虚の道である。


この三種の呼吸は拳術修練の始めと終わり、本と末をつなぐ順序である。すなわち一気貫通の理であり、おのずから有にして無に化すの道である』(「きみはもう『拳意述真』を読んだか」P142より)


さてこの三層の解釈だが、郭雲深老師は次の様に区分けしている。
第一層 調息 練精化気 明勁 有形於外 
第二層 息調 練気化神 暗勁 有形於内 
第三層 有れども無きが如く 還虚の道 神化の妙用 不有不無 


明勁も暗勁もともに、体外操作と体内操作を利用する。違いとしては、その比重のかけ方にあり、表面的な動きの大きさに現れる。ただ、暗勁も高度になれば、大きく動きながらも、その動き方から見て正反対と思えるような意外な勁力の発現をさせる発勁法もあると思う。つまり逆の意味でのフェイントといってもいいだろう。


話を戻して、まず「調息」と「息調」の違いについて考えたい。前者は外呼吸と動作の一致を意味している。『呼吸は自然にまかせ、意が呼吸にとらわれてはならない』とあるように、動きに合わせた自然な外呼吸を修得する。試しにやってみるとわかるが、上半身を全屈して丸め胸部を収縮させた時、息を自然に「吸う」事ができるだろうか。ふいごを考えてみれば、胸郭と呼吸の関係も自ずから理解できるだろう。つまり原則として胸郭が拡張する時に息を吸い収縮する時に吐くのが自然な姿なのだ。


動作にはそれぞれ最も適切な呼吸の形がある。それは習うまでもなく人間は生れた時から身についているものなのだが、成長するにしたがって様々な理由からその調和を乱してしまうことが儘ある。それが時として病気の原因になったり、運動能力を低減させる。だから郭雲深老師は、一度固定観念をリセットして、最も自然な呼吸を推奨し、『意が呼吸にとらわれてはならない』とまで言及している。これは特定の方法によって呼吸を意で制御することを意味してはいない。ただ、過った方法を採っている場合には、意識的にそれを解除してあげないと、その過った方法が自分にとって自然な呼吸だと誤解してしまう。それ故、場合によっては、動作ごとの正しい呼吸の仕方を指導する必要がある。ただしこの場合、「正しい呼吸の仕方」とは自然の理に適ったものである事は言うまでもない。


次に「息調」だが、これは『丹田の内呼吸に意を集中するのである。これは胎息ともいわれる。』ここでの内呼吸という語句は現代医学で言う全身の細胞レベルで行なわれる内呼吸とは少し違う。むしろその言葉通りに理解した方が良い。所謂口や鼻から肺に至る外呼吸ではなく、丹田部分での呼吸法を説いているわけだ。暗勁を実行する為には、まさにこの部分の制御が必要になる。というよりもそれが出来なければ暗勁は発現出来ないと言ってよいだろう。
だから、第一層が有形於外、第二層が有形於内というのは実に言いえて妙だと思う。

 


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