2026-06-25 著者:小山一夫
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昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-6-10
孫禄堂老師・ 明・暗・化勁と丹道の三層-3
「築基参証」(許進忠老師著)によれば、第三章「火候」・第1節「凝神の方法」に、
「凝神とは、普通真意で観照する事、即ち心神を働かせ内面へと意識を凝らすという意味である。仙学では元神はその働きにより火と呼ばれ、そのため凝神のまたの名を用火ともいう。」として、次の4点を挙げている。
①火は、陽気を指す。②火は、息を指す。③火は、真意・元神を指す。④火は神、また薬を指す。
ここで、②についてだが、許進忠老師は「ただし、風火の二字が連なって用いられている時は、風は息を指す。」と断り書きをつけている。つまり「息」と「火」を明確に区別しているわけだ。
次に、同章第2節「呼吸の種類と作用」では、「静坐と呼吸の関係は極めて密接であり、呼吸の問題に触れない仙道書はない。火候の運用とは、主として風と火という二つの事項である。火とは真意・元神であり、風とは呼吸である。呼吸をしなければ人は生きていくことができないし、修練も進めようがない。これで分かる通り、呼吸を理解するということは、まことにとても必要なのである。呼吸の分類には、外呼吸と内呼吸の二種類がある。」と述べ、次の様に説明している。
『1. 外呼吸
外呼吸は、体外呼吸ともいわれ、鼻の穴から空気を出し入れすることを指していわれる。この種の呼吸は、また次のように分けられる。
(1) 胸式呼吸 : また凡息ともいい、一般の人の正常な呼吸のことである。呼吸の時、肺の部分を膨らましたりへこましたりするもので、訓練なしにできる。
(2) 腹式呼吸 : 因是子(訳者注: 本名、蒋維喬。『因是子静坐法』『続因是子静坐法』を著す。)は、腹式呼吸を自然呼吸という。この種の呼吸は、息を吸うとき腹部が外に膨れ、息を吐くとき腹部が収縮する。やや胸式呼吸よりいい作用がある。
(3) 逆呼吸 : 因是子は逆呼吸を正呼吸といい、完全に腹式呼吸と反対である。息を吸うとき腹部は収縮し、息を吐くとき腹部は外へ膨れる。これは比較的特殊な呼吸で、普通の人にとって訓練するのは難しく、また往々にして弊害が発生する。
2. 内呼吸
内呼吸は体内呼吸ともいわれ、口や鼻を経ない呼吸で、体内に自然に存在して生命を維持するある呼吸作用を指す。このような呼吸は外呼吸に基礎を置き、その後日々の修練により完成するものである。この呼吸は、仙道を修行する時必ず通る過程であり、また鉱石を熱して金を取り出すには不可欠でもある。人の生死は、完全に呼吸に支配されている。人の体が母親の体の中から携えてきた一点の元陽は、人が元来持つ生の素なのであり、外界のどのような物質であれ完全にそれに取って代わったり、補ったりすることはできない。(仙学には、天元・地元の方法もあるが、現在残念なことにあまり知られていない。)そのため、この人が元来持っている生の素が使い終わってしまったその日に、この生命も終りを迎えるのである。この生命の個体の現象は、生産業の中の炭鉱業のように、人が燃料をいったん採掘するとただ減っていくばかりで、やがてまったくなくなってしまい、仙道家の変換の方法以外では、人工的に再び作り出すことはできないのである。
小薬を得ることこそ、築基でせねばならないことである。築基の意義は、破れて漏れている身体をもう一度新たに補充するということであり、陽気を旺盛にして小薬を採ることができてこそ、完成とみなせると説く。この小薬を得ることができて、はじめて体は十六歳のような純陽の体になれる。これは、身体のすでに消耗した生の素に対して、仙学の原理と秘訣を使って、再生・再造させることでなされる。こうした再生・再造の能力は、内呼吸の作用の下で完成される。
内呼吸によってどうして長生きができるかという理由は、以上のようなわけであるが、今一度内呼吸についてその程度を考察して、分析を加えると次のようになる。
(1) 武息 : 火には、文武の区別がある。風と火が同じように用いられるという理由のために、風にもまた軽重の区別がある。このため、息もまた文武の区別があるのであり、こうして武息と文息の名称が生まれた。いわゆる武息とは、強くてきつい呼吸のことである。武息は、呼吸の長短によって三種類の異なる方法と効用がある。
吐く息と吸う息が同じ長さの時: 子時の場所で用いられる武火 、また意識をかける時にも用いることができる。
吐く息が長く吸う息が短い時: 退陰符の時に用いられる武火 。
吐く息が短く吸う息が長い時: 進陽火の時に用いられる武火 。
(2) 文息 : 綿々と微妙かつ自由自在に、吸う息と吐く息の長さが等しく、軽くわずかに呼吸をして、沐浴の時に用いる。
(3) 真息 : 静坐する際、あたかも呼吸器があっても用いないがごとく、口や鼻から息をしない。しかし、静坐の時以外は、普通の人と同じである。真息が始めて現れたとき、胸と腹に光明を感じるが(仙学を修練している過程で生まれる内外の情景はすべて、感覚であって知覚ではない。さもなくば、それは必ず真境ではなく幻境に属すので、おおいに注意しなくてはならない。)、この光明は次第に現れる人といきなり現れる人がいる。光明が始まったばかりの時には、雲霧が胸腹部一帯を覆うようだが、やがてゆっくりと「雲霧」はなくなってただ一面明るくなり、気が口や鼻と臍の下の間を上や下へと往き来する。しばらくして、気の動きはさらに旺盛になり、口や鼻と臍の下の間を往来していた気は次第に見えなくなる。修行がここまで至ると、真息の段階まで到達したということである。この真息の情景は大静ではあるが、まだ定に入ることはできず、もう一度修行に勤しまなければその望みはない。真息の主要な効用は、「煉精化気」にある。
(4) 胎息 : 真息の修養を成し遂げて、はじめて大薬を採ることができる。大薬を採る前後には、定に入る(定には昏定と正定の区別がある)ことができるある段階があり、これが必ず何日か続くのだが、大薬を採ることができるか、修行が本物かどうか見て判断しなくてはならない。胎息の状態は、初めに必ず定に入らなければ決してあり得ない。さもなくば、まだ単に大静である。胎息の修行では、最終的にはいつでも「口や鼻から呼吸をしない」ぐらいまで達することができる。始まって三ヶ月の間は、二つの気が臍のまわりの空しい場所で微かに振動しているのが感じられるだけである。四、五ヶ月になると、二つの気は両方とも落ち着いて、食欲はすでに途絶えてしまっている。六、七ヶ月になると、心が生滅(訳注: 因縁により生じ滅すること)することはなく、完全に眠るということがない(眠っても意識はなくならない)。八、九ヶ月になると、あらゆる経脈が止まってしまい、再び動き出すことはない。十ヶ月になると、胎が完全なものとなる。精気神が一つになった「神」が、大いなる定に帰するのである。これには、必ず六通の効験がある。この六通とは、漏尽通、天眼通、天耳通、宿命通、他心通、神境通である(訳者注: 六神通ともいい、行が進んだ結果得られる神秘的な能力を指す。おおよそ、漏尽通は一切の煩悩がなくなり自由自在になること、天眼通はあらゆる物を見通す能力、天耳通はあらゆる音が聞き取れるようになる能力、宿命通は人々や自分の宿世行業を知る能力、他心通は人々の考えていることを見通す能力、神境通は様々な境地を往来できることを指す)。しかし、以上は胎息の過程にすぎないのであり、胎息に至る主要な作用こそ「煉気化神」である。
内呼吸の段階は一段一段と深くなっていくものであるが、まず武息・文息について、真息・胎息の前に議論したのは、それらが内呼吸の初歩の訓練で、必ず通らなくてはならない調息の修行に基づいているため、一緒に論及したのである。これは武息と文息を説明することとはまったく違って純粋に内呼吸であり、ただそれらは内呼吸への訓練の過程であって、内呼吸が極めて深い源であることを表しているにすぎない。』(「築基参証」許進忠著、訳は神坂雲太郎氏による)