2026-07-03 著者:小山一夫
原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。
昔書いた日記からいくつかアップします。
2003-6-20
勁と力-4 馮志強老師
『この体を陳式太極拳の名手・馮志強老師がこれをより具体的に次のように表現しておられる。
「トウ腰斂臀によって腰の勁(ちから)は下にきれいに通るようになり、上半身は虚、中間(腰)は円滑、下半身は沈穏となって、全身の勁(いきおい、ちから)がすべて集約されるようになる。斂臀によって尾てい骨にちからがこもり、尾閭中正となり、これと虚領頂勁が合わさることにより、脊柱は自然に真っ直ぐ立つようになり、命門のあたりが自然に開き、中気は脊柱を貫いて、上は百会から下は会陰まで一線を成すようになり、つまり体躯に一挺の弓が備わった状態になる。
墜肘に加えて沈肩ができ、しかも肩・肘・手首の三つの関節を中気がきちんと通り、指先まで至れば、つまりこれが腕に弓の力が備わった、ということになる。総じて、両腕両手が上下左右いかなる方向にこよう、沈肩墜肘が必要だということである。総じて、胯・膝・足首の三つの関節を中気が貫くように連動させることができた時、両脚に弓の力が備わったということができる。」(『陳式心意混元太極挙』ベースボール・マガジン社、馮志強著)
また佐川幸義先生は「体の問題である。体が城塞のようにピシッとしてまた自在に動かねばならぬ。体を作らなければ技を教えても使えない。1967.10.19」ともいわれている。
これを馮志強老師の表現をお借りしてみれば次のようになる。
「内外合一、これは頭頂部から踵まで、内は臓腑および筋骨、外は皮膚そして筋肉に至るまで四肢百骸がすべてつながり、意気神形がぴったり合一することである。内外合一のためにもうひとつ落とせないことがある。上下相随である。上下相随とは、腰および脊柱を上体下体をつなぐ主動軸とし、上体にあっては両腕が相互につながり、下体においては両脚が上体とびったり協調する。そして上下相随の結果、中間も自然に相随することをいう。」同上』(「合気道の奥義」吉丸慶雪著P215より)
馮志強老師は陳式太極拳の宗師陳発科老師の晩年の弟子であり数少ない直系現役の武術家として有名だ。
吉丸先生は合気之体を「伸筋コントロールができる体」と結論付けられているが、私は吉丸先生が引用されている馮志強老師の言葉そのままを採用した方がいいと思う。
合気之体や発勁が伸筋で達成できるのならば、孫禄堂老師も小周天など採用しはしなかっただろうし、丹道を深く研究する事もなかったはずだ。孫禄堂老師が丹道を鍛練されたのは、まさにこの中気を練り上げて、骨髄を通して全身に自在にめぐらせるのが当初の目的だった。つまり巡らせる元を築く事無しに勁道は開かれないし、単なるイメージだけでは虚火となり偏差を引き起こす。だが、合気之体についてその答えを馮志強老師の説に関連付けられた所は素晴らしい着想だと思う。
私は以前から第3の状態として説明をしていたが、前述の王西安老師のインタビューで新たな気づきがあった。
ひとつの事を突き詰めて考えてゆくと、往々にして同じ結論に至るものだと感心したが、問題はその原理を如何にして具現化するかにある。そこでは確実にゴールに導くカリキュラムが必要なのだ。その合気之体づくりの基礎になるのが鍛練法という事なのだが、佐川先生は晩年になるまで殆んど誰にも教えなかったという。先生ご自身は毎日24通りもの鍛練を続けておられたわけだが。
高橋賢先生は、季刊「合気ニュース」No127にて次の様に述べられている。
『一部で合気は、伸筋を張り伸ばした力を使うなどと筋力の面からの解明とか、達人の原理を透視(?)して図解し、これにのっとれば達人の合気を発揮できるようになるなどとの解明が進んで、これを教授しておられるようだが、首を傾けざるを得ない。 前腕を中心に伸筋を張り伸ばしている状態で、相手がそれを掴めば、筋肉がごっごっして掴みにくく、合気が利きにくい。合気を掛けられた時の、佐川先生の手は柔らかく非常に掴みやすかったことは、先生の手を掴んだことのある人なら誰もが感じていることである。伸筋を張り伸ばしては、合気を利かなくしてしまう。合気は、奇跡的であるが、奇跡ではない。小さい力で大きい力に対応出来るのであるから、当然、重心、挺子の原理などの物理学的な原理に基づき、力を経済的に使用して敵を崩すのである。
しかし、こんな単純な原理だけで、先生の合気を解明出来るわけではない。
自己の身体と相手の身体に対する、実践を踏まえた生理解剖学的知識に基づき、時には、人体の反射を利用したり、時には相手の心理学的面の研究も加えて(それ以外の原理もあると思われるが)、さらにそれらの研究が複雑に統合されることにより、はじめて合気の原理となり得る。その上に、それらを瞬時に発揮し得る身体に鍛え上げてこそ、はじめて奇跡とも見える佐川先生の合気の妙技が生まれるのである。こうなると、なかなか我々凡人の及ぶところでないし、外から見ただけでその妙技を透視し解明できるわけがあるまい。仮に万一にも、その原理を悟り得て合気を発揮しようとしても、合気に適う身体に鍛え上げていなければ、合気の妙技は生まれようがない。だから達人の霊魂がのりうっったとしても、鍛えてもいない人の身体では合気の妙技を発揮出来るわけがない』
私は高橋先生のご意見はとても説得力があると思う。