一般財団法人 野萩青少年育成財団
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釈迦の悟り―12

2026-07-20 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

昔書いた日記からいくつかアップします。

 

 

先祖供養-2

 

悟りによる成仏と、供養による成仏については、明らかに意味が異なります。
従って、「供養で成仏できるなら修行することなんか必要ないでしょう。」ということにはなりません。

つまり、亡くなった方への供養は、その故人を成仏させるのが目的ではなく、供養する側の人をより高い境地へ導くことが本来の目的なのです。従って、仏教には、亡くなった方を供養する目的で作られた経典はないのです。葬儀での読経は、参列者に対しての「諭し」であり、それによって故人が成仏するわけではありません。

他者の力によって、故人を成仏させる事が出来ないことは、釈尊も明言しています。ひとつは、スッタニパータの第三の8が根拠です。特に590のあたりですか。「葬儀での読経で故人が成仏する」などというよりも、遥かに釈尊の教えは深遠なのです。

また、池の周りでどんなに祈願しても、水底の石は浮かんでこないことも例に挙げています。(相応部経典46.6)
これは「浮かぶとか、浮かばれない」という語源になったそうですが。


この経文には続きがあり、
「ここに一人の人があって、人を殺し、物を盗み、偽りを言いなど、あらゆる邪まの業をなしたとするがよい。そこに大勢の人々が集まり来たって、-この人死して後は善趣天界に生まれるように-と、祈祷し、合掌したとするならば、なんじは如何に思うか。この人は、この大勢の祈祷合掌の力によって、死後、天界に生まれることが出来るであろうか。」


ここまではっきりと否定されますと、此れ以上言うことはありません。
つまりは、生前に八正道等を修養することが大事ということでしょう。
 


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