「制御があるところ、心の瞑想はありません。
あなたが獲得、代償を目当てに探求しているとき、あなたの探求はすでに終わってしまったのです。」
「それは、制限のない永遠の動き[の状態]にあるのです。
そこに、瞑想の真の喜びがあるのです。
そこに、生きている平和があるのです。
ですが、結果を求めるとき、あなたの[諸々の]行為が示しているように、あなたの瞑想は浅く空っぽになるのです。」
「花のように生きる~生の完全性 」UNIO刊
悟りを求めて瞑想をする
ひたすら、真摯に、求めれば求めるほど
サマディは遠のいてゆきます。
それに気づいたのは、20代半ばのこと。
発想の転換とでも言いましょうか。
ある日の午後、森の中を散歩している時、突然「個人の悟りは、単なる通過点なのだ」と気づきました。
まさに吹っ切れたという言葉がぴったりかも知れません。
修行とか、悟りとか、どうでもよく感じられました。
それらに必死になっていた自分が愚かに思えるほど完全に、ステージがひとつ変わったことに気づきました。
無為の瞑想は何かを獲得しようと思ったら絶対に得られません。
もし代償を目当てに探求しているならば
サマディなど夢のまた夢でしょう。