バラモン教典では人生の理想像として次の4 段階が紹介されています。
学生期 ~ 先生の元でヴェーダ等の聖典を学ぶ家住期 ~ 仕事に励み、子供を育て、家庭生活を営む林棲期 ~ 森林に住み、静かに修行する遊行期 ~ 悟りを求めて遊行する30年ほど前に、この四住期について知りましたが「幼少で出家して、生涯独身を貫け」というのと比べますとはるかに理に適っていると思いました。
煩悩の少ない子供の時に出家して生涯僧侶として修行するのが人間として最も素晴らしい生き方だという考えには納得できません。
もしも世界中の人達が、その教えに従ったらどうなるでしょうか?
間違いなく100年後には人類は滅亡してしまうことでしょう。
人類を絶滅させる教えが、果たして正しいといえるでしょうか?
もしそれが神の意思ならば、はじめから人間を創造する必要はないと思います。
私もこの9月で52歳になりました。
孔子曰く、50歳にして天命を知る、ということですが
天命を知るのは、簡単ではありません。
50歳になれば自動的に「知る」事ができるのならばいいのですがその前提条件は「30にして立ち、40にして惑わず」なのです。
「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」
「立」と「不惑」ですが、これにはとても深い意味を感じます。
私は「立」とは「何ものにも依存しないこと」つまり真我独存であり「不惑」とは「真理に触れること」つまり無との合一だと解釈しています。
ウパニシャッドにあるように、真我独存しませんと離脱ができません。
離脱によって無と合一しますと、自分の中に一つの羅針盤が出来て進むべき方向が定まりますので、迷いがなくなります。
それがヨーガでいう「あるがまま」であり、神道の説く「惟神」なのです。
「天命」とは、まさにその時に覚るものなのです。
この20年ほど、内外の仕事に追われていましたので
思い通りの研究や修行ができませんでした。
そこでこの9月から仕事を半分に減らして心機一転、真剣に修行をやり直すことにしました。
四住期でいうと、林棲期に半身進めたところです。
数年後には、引越しをして純粋に林棲期に進みたいと思っています。
いつの日にか「七十而從心所欲、不踰矩」となれれば言う事はないのですが。