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「炬」おしゃべり 聲を聞く-2

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2023-10-15

 

勿論人間の出来が良いか悪いかも判ります。

鍛錬した人か、活力の無い人間かが、丁度 薄手の茶碗の音と、厚焼の茶碗の音の差の様に、固い永く高熱で焼しめた備前焼と、温度も低く焼いた楽の茶碗とでは土の精錬から異ふから、音は全く違ひます。此の様なものですから、相手の聲を言葉のアヤにとらはれずに聞くことは大切なことです。


聲色屋は別ですが、聲はわざと変へて出すことはむづかしいんです。

ですから、平常の聲色はいろいろの生活状態を示しています。その人の性格や健康状態や喜怒哀楽の姿も、不意に出す言葉の聲で確められます。これは顔や手相より確かな時があります。
 

天聲人語とも云ひますが、これは、天は人をして物を云はしめている。と云ふ儒教の言葉ですが、こんなむつかしく考へなくとも 人の聲は風の様なものです。嵐の時は風が怒つた聲を出して居るのですし、温い春の風は ささやく様にやさしい音がします。
 

易に 山風蠱と云ふ掛があります。蠱とは、「やぶれ」くさったもの の意ですが、山の下に風がうづまいて居る形、風は世論なのです。君王や政治家が無能で大衆が、世論を盛んにして居る形なのです。天聲人語は革命に対して、天は人をして云はしめて居るのだと云ふ意なのです。

 

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