昔、魏の国に相者が居て、或る大将を見て、嗚呼、立派な姿ではある、必ず大軍の指揮を任せられて、国家の浮沈を擔ふ程になるが、その時にこそ、王を滅殺して、自分も滅ぼされて終ふだろふ と。
それから暫くして、その男は隣国との戦ひに大軍の指揮を任せられて、征途に付く日、王にその軍隊の閲兵を請ひ乍ら、その式上の壇上で王を殺し、自分が現今より王となると宣言したが、忽ち、隣国から攻め入られて、簡単に、殺ろされて終った。で、相者に どうしてこれが判ったのですかと問ふと、あの男は態度も教養も非常に立派であったが、眼晴が静かでない。常に左右をキョロキョロ伺って居る、見の動かし方であった。
此の様な人物は 状況が悪るければ 雌伏して、何事にも忠実に従ふが、一旦自分に大権力を与へられれば思ひがけない反意を実行するものである。
彼の生ひ立ちは逆境であり、忍苦によって精勧の形を作り、阿侒して上官に取り入り、大将となってからは自らの形に威を付けるに心掛け、四囲の者には自分の地位を誇って克薄であった。故に若し事を成して一旦は成功しても、知友朋輩の支持は得られまい。滅亡は直に来ると判定した、と云ふのでした。
だから、顔立ちや服装や持物だけで判断するのではありません。
どんな生い立ちであったか、どの様な習慣と躾が身に付いているか、どの様な善悪感や 人生観を持って居るのか、その根本の性命はどんなものであるかを、その言語の調子や起居の動作、食事の箸のはこび方の様な 片々とした行動の中から見抜いて終ふのです。
この様に観察したなら、表面の姿にとらはれず 心情、根の状態がよく判るものであります。それが今の生活に満足しているか、不満であるかで今後は此の様に行動するであろふと考へるのであって、此の人が幸福になるか 不幸になるかは、第二、第三のものなのです。
相学とは 人相見の様に 顔の形を見て、よい悪るい等云ふ様な 浅薄のものではありません。
