佛教では第六感よりももっともっと深いもの、井上専精博士はこれを佛経解読の中では第八阿羅耶識と云ってゐます。
この第八阿羅耶識の説は佛教根本理論であって、種子燻習説の基本となってゐるのであります。この事は、人間は、生れかはり生れ継いで形では親から子、子から孫へと生き継いで来る様であるが、その一筋の生命は、其の世毎に積み積んだ生活の中での習練や知識が、次々と傳承される間に、次第に特殊な才能を持つことになってゐる、
種子が次の世、次の世へと生れ移る中に、自然の状況に應じて、特殊な花を持つ様になる、燻習とは煙りでくすべられて色が付く様にとの事なのであります。
此の種子燻習説は、佛教の根本理念なのであります、どうして此の様な説が作くられたかと云ふと、「佛滅」と云ふことに原因あるのであります。「佛滅」とは私達の日常使用する暦のブツメツではありません、お釋迦様の死なのであります。お釋迦様が亡くなりますと、お弟子達は大変悲しみました。又、斯ふ考へました。
お釋迦様が亡くなるとはどうした事なのだ、こんなにも偉い正しい覚者でも亡くなられるとは、我々はお釋迦様をこそ佛として尊び慕ってゐたのに、我々凡人と同じ様に死ぬとは妙だ、これには深い訳があるに相違ない、深い御教へがあるのだと、騒ぎ立って終ひました。どうしても、釋迦の死、覚者の死を説明しなければならない。重大問題が残されたわけです。
