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「炬」おしゃべり  『性命』と云ふこと 23

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2024-10-19

 

 もふ少し考へてみませう。
 幾年か前、私は越後に帰って、家内と幼い久美子と連れて、裏山の公園に遊んだ事があります。丁度、山櫻の實が濃紫に熟して、若葉の美くしい六月初でした。


 赤土山の小径に、大きな蟻が暑い初夏の陽に照らされて、一生けんめいの様に穴から出たり這入ったり働いて居ました。お父さん、ホラ蟻がと言葉に誘はれて、蟻のお家はどこにあると、歌を唱ふやうに、小枝を折りとって、それで蟻の巣を突っつき初めました。さあ、大変と、蟻達が大勢出て来ました。


 その時、私ははっと気が付きました。


 此の蟻達、一匹一匹は雄でもない、雌でもない、全くの中性である、それなら人間の躯で云へば細胞の一つ一つの様なものではないか。


 人間では細胞が一かたまりになって、人間と云ふ形と生命を營んでゐるが、蟻では一つ一つの細胞が別々に離れて動き働く様に出来てゐるのだ、これを統一して居る蟻の命と云ふものは、地の中に居るのだとすれば蟻の一集團こそ、一ヶの生命なのだ、と気付きました。


 昔の科学の進歩して居ない時代の宗教家は此の蟻の雌雄と云ふ事を考へてみたでせうか、誰か鴉の雌雄を知らんや等と云ってゐますが、科学的でなかった昔は蟻の生態にも蜂の生態にも無頓着であったとすれば、「生命」と云ふ不思議な「營み」も正しく理解してゐたとは考へられない。


 

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