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「炬」おしゃべり  『性命』と云ふこと 24

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2024-10-20

 

 「人間は斯ふだ斯くあるべし」と教へ倫理づけたのは、人間社会ばかりと見、人間社会の容器である自然と、自然の中での他の生きもの達の「生命の營み」を知ることなく、宗教家も道徳屋も、「ひとりよがり」の宗教理念を振り廻して、やれ道徳、ヤレ文教と云って居たのではないか此処に大きな誤りを犯してゐたのではないか、

 

 だから、世の中に出来た富や貧に階級的差別を付けたり、家柄だと、家系だのを攻撃した宗教家は居ない、むしろ時の權勢者にオベンチヤラ、これは宗教家、坊主共ばかりでなく、時には儒教学者達もそうであったのです。
 

 人間の生命の不思議、蟲達の生命、生態の不思議さを正しく知って、生命の尊さ、性命の尊さを基本にして説いた先覚者はゐなかった!!と気付いたのです。


 蟲達は、もふの此の体では、生きられない!!の時に卵を生みます、卵も生むと云ふことは今の生命の終りでなく、新らしい細胞を組織を得る為の行為であって、自分自身の更新の手段なのだと気付いたのも此の時でした。卵と云ふ形になって冬を越す、この様にして、蟻も蜂もトンボも鴉も鷲も馬も犬も人間も、自分の生命を新らしい細胞に移し変へて行く、親と子としての形であり乍ら、そして、何千回何萬回となく、生れかはり、生き継いで来てゐる、その次から次へを親子と云ふが親子とは別なものだろうふか、一つの生命の継續です、一つの生命の紐です、貴方は貴方の、私は私の生命の紐です
 

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