それから、”あいしよう”が良いとか悪いとか云って訊きに来る、このあいしようとは、相生と云ふことで、「合性」と云ふことではない。相生原槁と云ふのが何処かに在ったが、あの、お互ひに結び合って、保ち合ふこと、
槁の名前として、良い名前だなと思った事があるが、お互ひに生かし合ふ相ひだ柄と云ふのである、これは支那の古代の天地陰陽を政治から、人生一般、身体のことまであてはめた一つの哲学の五行の説から引いて木火土金水の順序は相生で水金土火木はその逆であるから、”相剋”(お互ひに爭ひ勝とうとする)なんて云ふ、それを、又、九星にあてはめて、一白と六白、二黒と三碧となんて喋ってゐる中に、その根本意義を忘れて終って、コレとコレは”合性”なんだなんてきめて終ふことになって終った。
こうして、結局はそれで「めし」を食ふ易者や方角屋が白いオマンマになると云ふもの。俺は云う、「見合ひに行って来ました」「気に入ったかね気に入ったら、それでよいのです。」これで良いのさ、お互ひに気が合って、パッと結婚までストレートで進むのは、”相生”都合が悪るい、断る言ひ訳が見付からぬ、そんな時にまた、「あいましょう」が良いとか、悪るいとかこれは、どう云う風にも使はれて終へるものである。
それより、「合性」が良すぎて、ケンカばかりして居乍ら、離れられない腐れ緣もあるし、髙砂やあーーと何べんもやっている
