若月佑孔の記事一覧

「俺はこう思う」 禪「私の考へ方」-7

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-03-30

 

失敗したら、失敗になり切る、成功したら成功になり切る、


金持なら金持になり切る、金持は、金を使ふ人だ、金には使はれるな、芸術家は芸術の枝を使ふ人だ、技の為に振り廻されるな。


家に帰る。子供が「お父さん」と云ふ、お父さんになり切れ、妻君が、夜、アナタと云ったら、アナタになり切れ、社長でも、小使ひでも、ない、手形も借金も忘れて、お父さんに、アナタになり切れ、此が神通力なのである、これが禪の極致なのである。


その気になり切って、その姿になり切って、その立場のものになり切って、働く、休む、これが流通無礙に行はれてこそ、禪が生活に生き、生活が禪になる。


これが「離」と云ふことで、離れー離れー離れ、なのだ。


「朱に交はればあかくなる」と云ふが、朱に交はって、朱になり切れない奴は、大きらひだ。朱に這入ったら、朱に、赤に這入ったら赤に、黒に這入ったら黒に、綠に這入ったら綠にサッサッと適應して動ける。その形になり切れる、この無心に、「なり切る」こそ、禪なのだからである、朱に這入って、出たら、自分の本姿に還る、今度は黒に這入ったら黒になり、自分の本姿になる、それを、朱から黒に朱を引きづって行く、それを又、綠の中に引きづって行く、曰く、俺を社長だったのに、私は金持の娘だったのに、俺は大学を出てゐるんだぞ、!!そして、ロクな土方にもなれない、良い女房にもなり切れない、大学を出たからって、荷造りをすると手が腐るのか?
 

元の記事