一度でも、此の「没我」の悟りを持った尊い人は、何処で絵筆を持っても、三味線のバチを構えても、すぐ、絵を書く構えになり切れる、三味線を彈く自分になり切れる、山のテッペンでも、人ゴミの混雑の中でもシャーッと落付いて、まどはされることがない。
それは、自己を殺ろし、滅却して居る達人なのだ、そして、其処に立派な絵、立派な芸が出来上がって居るのである。絵のことだけ、三味線のことだけではない。何の仕事でも同じことである、そうなる為には、その事になり切らなくてはならない。商賣のときは商人になり切る。
「私は儲けなくとも」と云って、俺に怒鳴り叱られたのがある、「商人」である以上、儲けることには、鬼が石の皮を剥ぐ様な勢でなくては駄目だ、此の中途ハンパメ!!とだ、そばやになって、夜ピイロ〜〜ピロ、となったら、そばやに、ラーメン屋になり切れ、俺は前に会社の社長だった!!それが今の君に、何になる、
